誓願寺(2)片桐且元の墓
誓願寺の本堂左手に進むと、片桐且元夫妻の墓があります。
且元は、「賤ヶ岳七本槍」の一人で、幼い豊臣秀頼の補佐役でした。
慶長19年(1614年)「方広寺鐘銘事件」の釈明のためやって来ましたが、駿府に入ることを許されず、この誓願寺に滞在しました。
徳川家康は、この時且元に合わず、代わりに本多正純・金地院崇伝にこの件を責めさせ、目的を果たせず、大阪に戻った且元は、豊臣方から裏切り者扱いされ、大阪城を退去しました。
大坂冬の陣には徳川方として参陣、翌年の夏の陣では,大坂城落城に際して淀君,秀頼の助命を家康に懇願しましたが、聞き入れられず、元和元年(1615)京都で生涯を閉じました。
片桐且元公夫妻の墓
向かって左が且元の墓です。
墓石には、且元の子孫で、茶人・作庭家であった石州の銘があります。
また、本堂裏のひょうたん池のある庭園は、石州の作庭した庭と伝えられています。
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静岡市駿河区丸子の誓願寺(せいがんじ)に片桐且元公夫妻の墓があるのを初めて知りました!
投稿: willy_tsuguo_shikata | 2017年11月22日 (水) 05時56分
四方さん、コメントありがとうございました。
私もここは、頼朝関連の史跡で訪ねたのですが、
ついでに且元のお墓で見ることができました。
投稿: しずか | 2017年11月22日 (水) 22時05分