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2018年1月

那須与一ゆかりの即成院

泉涌寺塔頭の即成院は、伏見長者と称された橘俊綱の創建で、元伏見大亀谷に所在していましたが、明治維新の廃仏毀釈で無住となり、泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年に現在地に移されました。
ご本尊の阿弥陀如来坐像と二十五体の菩薩像が安置されています。
     山門                本堂
 
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   地蔵堂
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即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところたちまち回復。以来、阿弥陀如来を肌身はなさず持っていたと伝えられています。

また、「屋島の戦い」の時も一心に阿弥陀如来に祈ったところ、見事に扇の的を射る事が出来たといわれています。
 
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本堂裏には与一の墓とされる石塔があります。
 
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即成院のHPによると
「源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。
与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。そしてその後、境内には与一の遺徳を讃え、巨大な石塔のお墓が立てられました。」
 
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毎年、成人の日に「泉涌寺七福神巡り」が開催されます。

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後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺

泉湧寺の塔頭の一つに今熊野観音寺があります。
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本尊は十一面観音(秘仏)、西国三十三所第十五番札所。
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大同年間(806年~810年)、熊野権現のお告げを受けた空海がお堂を建てたのが始まりで、その後、藤原緒嗣が伽藍を造営したと伝えられています。
本堂                  大師堂
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熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。
 
頭痛持ちで苦しんでいた後白河天皇の枕元に観音様が現れて頭痛が治ったという話が伝えられていて、頭痛封じ、ボケ封じ、知恵授けのご利益で名高いお寺です。
 
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また紅葉の名所としても知られています。
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新年のご挨拶

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昨年も当ブログへのコメント&応援ありがとうございました。
 
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