« 後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺 | トップページ | 五個荘の町(1)那須与一の孫・愚咄ゆかりの弘誓寺 »

2018年1月23日 (火)

那須与一ゆかりの即成院

泉涌寺塔頭の即成院は、伏見長者と称された橘俊綱の創建で、元伏見大亀谷に所在していましたが、明治維新の廃仏毀釈で無住となり、泉涌寺塔頭の法安寺と合併し、明治35年に現在地に移されました。
ご本尊の阿弥陀如来坐像と二十五体の菩薩像が安置されています。
     山門                本堂
 
Img_3772 Img_3778
   地蔵堂
Img_3774

即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところたちまち回復。以来、阿弥陀如来を肌身はなさず持っていたと伝えられています。

また、「屋島の戦い」の時も一心に阿弥陀如来に祈ったところ、見事に扇の的を射る事が出来たといわれています。
 
Img_3773 Img_3771
Img_3776 Img_3775_2

本堂裏には与一の墓とされる石塔があります。
 
Img_3779 Img_3781

即成院のHPによると
「源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れました。伏見で療養していた際、与一は、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰したそうです。そして、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」では、平家の船上に掲げた扇の的を見事一発の弓矢にて射抜くという素晴らしい武勲を立てたとされております。
与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じ、京都に凱旋して戻り、すぐに出家し、残りの後半の人生を「源平の戦い」で、亡くなった方々の菩提を弔うという人生の選択肢をとり、京の地で平穏に暮らしましたが、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなりました。そしてその後、境内には与一の遺徳を讃え、巨大な石塔のお墓が立てられました。」
 
Img_3782 Img_3780
 
毎年、成人の日に「泉涌寺七福神巡り」が開催されます。

応援のポチッのご協力お願いします。

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

« 後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺 | トップページ | 五個荘の町(1)那須与一の孫・愚咄ゆかりの弘誓寺 »

那須与一」カテゴリの記事

コメント

泉涌寺塔頭の那須与一ゆかりの即成院のことは初めて知りました!
ありがとうございました!

四方さん、振り返ってみたら、2012年に初めてこちらをお参りしたので
12年ぶりに即成院に行ったことになります。
時の経つのはあっという間ですね(^^ゞ

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 後白河天皇ゆかりの今熊野観音寺 | トップページ | 五個荘の町(1)那須与一の孫・愚咄ゆかりの弘誓寺 »

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

無料ブログはココログ