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随縁寺と共正寺 頼朝に配流された貫名氏

寺島村(現・浜松市南区寺島町)に無住状態で寺号だけが残っていた普済寺(現・浜松市中区広沢)の前身だった随縁寺は、明治32年(1899)10月、村櫛の地に移され、再興する形で開かれました。

この時、廃仏毀釈で廃寺となった宝谷寺の住職が、私財をなげうって買い取り、宿廬寺(浜松市西区庄内町)に預けられていた大日堂の大日如来像が須彌壇とともに移されました。

当初、随縁寺は、村の中央にある上の山の中腹に建てられ、本堂は宿廬寺の衆寮を移したものでしたが、山の中腹で不便であったため、大正11年(1922)に現在の地に移転。現在の本堂は、昭和4年(1929)に建てられたものです。(村櫛町自治会HPより)

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また、村櫛小学校の南西に共正寺という小堂があります。

以前は「法雲山共正寺」という日蓮宗のお寺でしたが、無住や老朽化のために、平成14年8月に小堂として再建されました。

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村櫛開村の創、 共資公はこの地に葬られ(御山塚・990年)日蓮大聖人の御縁祖であられることを顕彰して有縁の祖霊に報恩供養塔として昭和28年日康上人より創建された。

共資公とは、井戸の傍らに捨てられていたという「井伊共保出生の井」で知られる井伊氏初代当主・井伊共保が、養子に入った遠江守・藤原共資のことです。

ここで気になったのが、「日蓮大聖人の御縁祖」という記述です。

以下、村櫛町自治会HPの説明です。

藤原共資から六代の孫で井伊盛直の第三子正直が 山名郡貫名 (袋井市)の地を領していたが、正直から三代の重忠が、源平の争乱に際し平氏に加担したとして、源頼朝の怒りにふれて安房国長狭郡東条村 小湊(千葉県鴨川市)へ配流された。その重忠の長子として承久三年(1221)小湊で誕生したのが薬王丸、後の日蓮上人であるとの伝承が残されている。(日蓮の出生地には諸説がある。)
 この寺は、大正8年(1919)、日蓮宗法雲寺(浜松市中区)の当時の住職の日康が、荒れたこの地(御山塚・日蓮様と呼ばれている)を発見し、日蓮を供養するために墓標を建立したことに始まる。昭和29年(1954)、浜松駅前にあった法雲寺の新築に伴い旧本堂を村櫛に移築して共正寺が創建された。ちなみに寺名の共正寺は共資公、 立正大師)の一字から付けられたとのことである。御山塚の山頂には、昭和30年、藤原 共資公ともすけこう 墳墓顕彰記念碑が建立され、翌31年には本殿が落成した。さらに檀家により石段、灯籠などが整備された。

日蓮上人の父親が井伊家の分家・貫名家の出であるという説・・・
 

このことが、後に訪ねたお寺に繋がっていくのでした。

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源頼朝」カテゴリの記事

コメント

日蓮上人が井伊家の分家から出生した諭旨、しずかさんの記事で知りました!

投稿: willy_tsuguo_shikata | 2018年3月22日 (木) 08時44分

四方さん、コメントありがとうございました。

井伊家を調べていて、意外なところに結びつきました。
だから歴史は面白いのですね。

投稿: しずか | 2018年3月22日 (木) 12時03分

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