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源氏からも平家からも愛された平野神社の桜

毎年、春になると、平家にも源氏にもゆかりのある桜で有名な京都の平野神社を訪ねます。

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平野神社は794年(延暦13年)、平安遷都の際桓武天皇が奈良より勧請し、創建されました。
平野神社の祭事である平野祭は、『延喜式』四時祭に記載されている祭祀で、桓武天皇の後王(後裔の皇族)、大江氏と和氏が参加することが規定されていました。
桓武天皇の後裔で発達したのは平氏で、1019年(寛仁3年)平理義が平野祭に氏人として参加しています。
(『日本紀略』)

のちには源氏平氏、高階氏、大江氏の氏神とされるようになりました。

現在の本殿は、慶長3年・同9年、平氏の末裔で公家の西洞院時慶卿によって再建されたもので、「平野造り」または「比翼春日造り」と呼ばれ、重要文化財に指定されています。拝殿は、東福門院寄進によるもので「接木の拝殿」として有名である。拝殿に飾られた三十六課歌仙絵は、平松時量卿の寄進によるもので、書は近衛基熈、絵は海北友雪のものです。

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平野神社由緒

延暦13年(794)、桓武天皇の命によって当衣笠の地に御鎮祀。平安遷都に際し、御生母高野新笠姫をはじめ新進の大陸文化を導入した人々が平安の都づくりに優れた技術を用いた功績は多大であり、更に遷都後は外の護りとなったこと等に対して天皇の御親祭をみたもので、「延喜式」には皇太子みづから奉幣される定めになっている。
延喜式内社の名神大社、平安中期以後は22社中の5位として、伊勢・賀茂(上・下)・石清水・松尾につぐ名社であった。
また、源氏平氏・高階・大枝・清原氏・中原氏・菅原氏・秋篠氏等八氏の祖神として崇敬されてきた。明治4年官幣大社に列し、洛西の総氏神と仰がれている。
(案内板より)

平野神社

延暦年間(9世紀初頭)平安遷都に伴って大和から遷座した今木神(いまきのかみ)・久度神(くどのかみ)・古開神(ふるあきのかみ)・比売神(ひめのかみ)の四座を祀る旧官幣大社である。歴朝の崇敬きわめて厚く、祭日には皇太子御参向、親王諸王大臣以下参列することを例としていた。  
本殿(重要文化財)は寛永年間(1624~1644)の建築で、平野造または比翼春日造とよばれ、一間社春日造の四殿を二殿ずつ連絡し、左右両殿の間に横棟を渡して「合の間」をつくり、正面に向拝をつけ、一見して三間社のように見える独特の形式によっている。  
境内に桜が多く、珍種に富み、古来「平野の夜桜」の名がある。4月10日に桜花祭を行う。
(案内板より )

平野神社には約50品種のサクラの木があり、約一カ月にわたって桜を順々に観賞することが出来ます。

大内山                     胡蝶
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白雲                      平野妹背
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八重紅枝垂                  おけさ
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コメント

平家と源氏、敵対する二者から愛された桜って相当キレイのでしょうね。

案内板をすべてタイピングするって相当タイプ早いんでしょう。
私は、タイプ苦手で打ち込むのを少なくしています。

投稿: ラメール | 2018年4月26日 (木) 11時29分

ラメールさん、コメントありがとうございました。

ここは、いろんな品種があるので、それぞれの好みに合った
桜があるのでしょうねheart02

私も京都の桜の名所の中で、この平野神社はトップ3に入れたいと思いますhappy01

投稿: しずか | 2018年4月27日 (金) 11時04分

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