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志津城跡と藤原共資公の石碑

正暦4年(993)、藤原共資が築いたといわれる志津城に向かいました。

浜名湖国際頭脳センター付近に、志津古城址の石碑が建っています。

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志津城は浜名湖畔の半島に築かれましたが、現在は埋め立てが進み、湖面から離れています。

井伊谷に伝わる古文書によると、
平安時代に井伊氏の祖となる藤原共資がこの地に住んで館を築いたとされます。周囲には城山・根古屋などの地名が残りますが、城の主要部は湖面埋め立てのため削り取られて失われました。共資が葬られた場所を御山塚といい、子孫から日蓮が輩出したという縁で共資公墳墓顕彰記念碑が建てられました。
井伊(藤原)共保は、志津城で成人するまで育てられ、その後井伊谷に戻り、井伊を名乗り初代井伊家当主となったと伝えられています。

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藤原共資公の石碑が、志津城跡石碑の近くの小高い山にあります。

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入り口に「井伊直虎ゆかりの地」の幟が立っています。

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これがないと、とても進む気にはなれないでしょう。

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しばらく歩くと、お堂のようなものが見えてきました。

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お堂の裏側に石碑がありました。

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石碑には日蓮の遠祖と書かれています。

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IMG_8134  藤原共資

ここも、城の一部だったようです。

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井伊(藤原)共保
・寛弘7年正月元旦、遠江国井伊谷の八幡宮神主が御手洗の井の傍らに男児の捨て子を発見した。その子の顔立ちは端麗で瞳が明るく、聡明であったという(諸説あり)。
・7歳の時、神童と称され、その噂を聞きつけた遠江国司藤原共資の養子となり、藤原共保と称し共資の一女と婚した。
・長元5年(1032年)家督を継ぐと故郷の井伊谷に居館(井伊谷城)を構えて井伊氏を称した(諸説あり)。
1093年、84歳で没し、八幡山地蔵寺(現:龍潭寺)に葬られた。
・また別説として、延喜年間に奈良より荘司として着任した三宅好用が井伊谷に居を構え、それより三代目の井端谷(いはたや)篤茂の娘が共資に嫁し、共保はその実子として生誕したとも伝えられる(三宅氏の家紋は井伊氏と同じく橘)。(Wikipediaより)

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