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2018年12月

2018年12月30日 (日)

荻窪八幡神社

東京都杉並区上荻にある荻窪八幡神社は、旧上荻窪村の鎮守で、創建は、寛平年間(889年-898年)と言われています。
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永承6年(1051年)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中でここに宿陣して戦勝を祈願し、康平5年(1062年)凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったといわれています。
また、文明9年(1477年)江戸城主であった太田道灌は、上杉定正の命をうけ石神井城主・豊島泰経を攻める際に、源氏の故事にならってこの神社に武運を祈願しました。
この時植えた槇の樹一株が、現在も神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められています。
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本殿は明治28年(1895年)、拝殿は昭和11年(1936年)に建てられました。
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末社(五社宮)
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稲荷神社   保食神   商売繁盛・五穀豊穣 
祓戸神社   瀬織津姫神・速開津姫神
須賀神社   須佐之男命 縁結び・病気平癒  
琴平神社   大物主神 旅行安全・事業繁栄  
御嶽神社 太詔戸神 開運
猿田彦神社
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今年も一年ありがとうございましたm(__)m

来年もどうぞよろしくお願いします

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2018年12月10日 (月)

源氏ゆかりの谷ヶ堂最福寺

松尾大社から鈴虫寺に向かう途中に、源氏ゆかりのお寺があると知り、立ち寄ってみました。

谷ヶ堂最福寺は、高僧・延朗上人が建立した寺院です。

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延朗上人は、但馬の国養老郡の生まれで、八幡太郎源義家四代の孫といわれ、源義経源頼朝の従伯父にあたる人です。

比叡山で天台密教を修めて、安元2(1176)松室の地に、本尊を阿弥陀如来とする天台宗の寺、最福寺を創建しました。

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その後、義経が、さらなる寺の興隆を願い、丹波国亀岡篠村施入を強要したので、やむなく上人がこれを受けたといいます。 

平治、元弘、応仁、元亀の乱などの度重なる戦乱により、大伽藍を誇った最福寺は焼失してしまい、伽藍は再建されず、再建された延朗堂のみが残っています。

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延朗(えんろう、大治5年(1130年) - 承元2年(1208年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶。対馬太郎源義信の長男。松尾上人と号す。 

大治5年(1130年)但馬国に生まれる。幼名を徳寿丸といい、長じて小太郎義実を名乗る。天養元年(1144年)、15歳で出家。以降、延暦寺や園城寺にて天台宗を学び、顕教・密教両面の内典・外典に通じた碩学(せきがく)ぶりをもって知られた。安元2年(1176年)には、京都・最福寺の創建を果たし、同寺のあった地名にちなんで松尾を号とした。 

文治年間、元は平重衡の所領であった丹波国篠村庄を賜った源義経の申し出により、同庄の寄進を受ける。初めは固辞した延朗であったが、いったん引き受けた後は、領内の農民の年貢を停止し、代わって念仏を奨励し、その唱えた回数に応じて年貢の受け取り状を交付した。義経が朝敵として追われた後は、源頼朝に同庄の返上を申し出るが、それには及ばないとされ、文治2年(1186年)、頼朝の使者豊島有経を通じて、改めて同庄を賜った。 

承元2年(1208年)、79歳にして入寂した。(Wikipediaより) 

「平治・元弘・応仁・元亀の乱 戦火ゆかりの地」

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平治の乱の後は、源氏がゆえ、平清盛に追われ各地を遊歴したそうです。 

本堂の右手にはさしのべ観音や六体地蔵などがあります。

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六体地蔵

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