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2019年5月

2019年5月25日 (土)

熊野の長藤 2019(3)池田の渡し

明治時代初期まで、天竜川には橋が架けられていませんでした。

古来、磐田市池田地区は天竜川の渡船場として賑わっており、徳川家康により渡船の運営権が保証されて以来、江戸時代を通じて東西交通の役割をほとんど一手に担い、この地域の経済・文化交流の場として栄えていました。

明治に入り、明治11年(1878)木橋の完成とともに、天竜川池田渡船は長い歴史を閉じました。

平成元年(1989)、渡船保存会を発足し、100年ぶりに渡船が復活し、長藤祭りに合わせ、池田の渡しを再現した渡船体験イベントを実施しています。

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2019年5月19日 (日)

熊野の長藤 2019(2)熊野御前ゆかりの長藤

熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

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熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。

 

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謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い

 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。

          謡曲史跡保存会

 

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2019年5月11日 (土)

熊野の長藤 2019(1)

新居町のウォーキングの記事が途中ではありますが、今年も熊野の長藤を見に行って来たので、その記事を先にお届けします。

謡曲「熊野(ゆや)」で有名な熊野御前(ゆやごぜん)の墓がある行興寺

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行興寺に着いた時、ちょうど熊野御前の人形を乗せた山車の引き回しが行われていました。

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この方は人間です(^^ゞ

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お面を被っていても、表情があって、見入ってしまいました。

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2019年5月 3日 (金)

頼朝の愛した新居町(2)藤原定家の歌碑

次の目的地に向かいます。

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新居町親水公園内に藤原定家の歌碑があります。

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橋辺霞
影たえてしたゆく水もかすみけり
      はまなの橋の春の夕暮

藤原定家

鎌倉初期の歌人。〈ふじわらのていか〉とも。藤原俊成の子。民部卿,中納言にいたる。8番目の勅撰集《新古今和歌集》,《新勅撰集》の撰者,多くの歌合の判者となるなど,鎌倉初期の歌壇の中心であり,有心(うしん)体を提唱して,有心妖艷の秀作を残し,藤原家隆と並び称された。晩年古典研究に没頭,多くの古典の書写校合にあたった。新古今時代を現出させたその歌壇活動と歌学・古典研究は後世に巨大な影響を与え,室町期の正徹の〈歌道において定家を難ぜむ輩は冥加もあるべからず,罪をかうぶるべきことなり〉という言葉をも生んだ。日記《明月記》,家集《拾遺愚草》,歌論《近代秀歌》《毎月抄》《詠歌大概》等がある。(コトバンクより)

 

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