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2019年6月17日 (月)

熊野の長藤2019(4)熊野御前の墓

熊野御前の命日とされる5月3日には熊野御前供養祭が行われます。

熊野(左)と熊野の母(右)の墓

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Img_9039 手前が熊野の墓

平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。
 宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。
 春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。
 母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
 熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。

(豊田町発行「熊野御前」より)

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コメント

熊野(ゆや)御前とその母の見事な墓ですね!

四方さん、コメントありがとうございます。

普通のお墓と違って、周りが長藤で囲まれているので
風情がありますね。

平宗盛、平家2代目の棟梁でしたがここで平家の時代も
終わってしましました。
その裏で、熊野の娘との話があったのですね。
悲しい悲恋の話だったのか、そんなことしてる場合か

宗盛カテゴリで宮島の話読みました。
>片道30分の山道のアップダウン
うらやましいほどの健脚ですね。(拍手)

ラメールさん、コメントありがとうございます!

ここも平家ゆかりのお寺なので、浜松にいらした時に
足を延ばしてご案内できれば良かったのですが
車でないと不便なため、予定に組み込めませんでした。

宮島はまた行ってみたいところですが
あの山道はもう挑戦できないかもそれません(^_^;

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