頼朝の愛した新居町(5)浜名橋跡
浜名橋跡
浜名湖の出口には浜名川があり、ここに架かる浜名橋は歌に詠まれるほど有名で、平安時代には、宇治橋(宇治川)、瀬田橋(琵琶湖)、山崎橋(淀川)とならんで、四大橋の一つと称されました。
今切口ができる前の浜名湖は淡水湖で、浜名湖から太平洋に浜名川が流れ、そこには浜名橋が架けられていました。
しかし浜名川は災害により何度も流路が変わり、橋の場所も移動して架け替えられました。口伝によれば、浜名橋の跡地がこの辺りとも言われています。
平安時代の浜名橋の規模は長さ一六七メートル、幅四メートル、高さ五メートルほどであり、当時としては大きな橋でした。浜名橋付近は風光明媚な景勝地として知られ、東海道を往来した旅人の日記や和歌にしばしば登場しています。
平成30年6月 湖西市教育委員会
« 熊野の長藤2019(5)能舞台でのイベント | トップページ | 頼朝の愛した新居町(6)藤原為家・阿仏尼の歌碑 »
「源頼朝」カテゴリの記事
- 源頼朝ゆかりの滝山寺(5)宝物館(2023.05.28)
- 源頼朝ゆかりの滝山寺(4)日吉山王社本殿(2023.05.09)
- 源頼朝ゆかりの滝山寺(3)滝山東照宮(2023.04.22)
- 源頼朝ゆかりの滝山寺(2)本堂(2023.04.09)
- 源頼朝ゆかりの滝山寺(1)三門(2023.03.26)
コメント
« 熊野の長藤2019(5)能舞台でのイベント | トップページ | 頼朝の愛した新居町(6)藤原為家・阿仏尼の歌碑 »
源頼朝が愛した浜名川の浜名橋跡とは幾つめの物だったでしょうか?平安時代の物だった!
投稿: tsugo shikata | 2019年7月19日 (金) 05時37分
四方さん、コメントありがとうございます。
この浜名橋は、今回のウォーキングのコースに入っていたもので、頼朝とは直接関係はありませんが。頼朝も当時の浜名橋を目にしているのでしょうね。
投稿: しずか | 2019年7月19日 (金) 10時42分