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2019年9月

2019年9月23日 (月)

頼朝の愛した新居町(11)小松楼 その壱

元は、芸者置屋だった小松楼

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建物は明治末期以前のものを現在の地へ移築し、その後数回の増改築を繰り返し、平成22年9月1日から小松楼まちづくり交流館としてリニューアルオープンしました。

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新居関所は、明治に入り関所としての機能が失われた後、小学校や役場として使われ、周辺は警察署・郵便局などが置かれる中枢官庁街となりました。一方、一歩南側に入った俵町より船町界隈は、明治末期~昭和初期には歓楽街として栄えました。
最盛期には芸者置屋が11軒、カフェ・バーなどもあり、新居だけで50人から80人の芸者が居ました。周辺は養鰻、製糸業なども盛んで、漁師町であったため漁師らも利用したと言われています。
小松楼は当時最も栄えた置屋のひとつで、新居町出身の松井米吉氏が浜松で新聞店を営んだ後、大正初め頃置屋兼小料理屋として開業しました。

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1階は明治の終わりごろ、旅籠紀伊国屋のすぐ南側にあった平屋建ての建物を現在の地へ移築されました。

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2019年9月12日 (木)

頼朝の愛した新居町(10)源太ノ山

新居町の散策を続けます。

次は、梶原景季ゆかりの源太ノ山です。

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源太ノ山
建久元年(1190)、源頼朝が上洛の途中橋本に宿泊した時に、
頼朝の家来梶原源太景季は警護のため、金山(源太山の旧名)
にあった大松の上で物見をして警戒にあたったといわれている。

こうした言い伝えから、里人はこの山を「源太ノ山」、大松を「物見
の松」と呼んだ。

大松は明治四十五年(1912)に枯れ、山も新居停車場の埋め立て
に使われたため、面影をとどめていない。

 

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