頼朝の愛した新居町(14)紀伊国屋資料館 その弐
一階の風呂場や台所
当時の生活様式がうかがえます。
階段を上って二階の客の間へ。
天井が180cmと低めなのは、争い事などで刀を降り降ろせないようにするためとのことだそうです。
部屋には、当時の旅人が使用していた道具が置かれています。
担い箱は、行商人が品物を運ぶのに使われました。
角枕は、髷がくずれないように工夫された木製の枕です。
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一階の風呂場や台所
当時の生活様式がうかがえます。
階段を上って二階の客の間へ。
天井が180cmと低めなのは、争い事などで刀を降り降ろせないようにするためとのことだそうです。
部屋には、当時の旅人が使用していた道具が置かれています。
担い箱は、行商人が品物を運ぶのに使われました。
角枕は、髷がくずれないように工夫された木製の枕です。
次は、紀伊国屋資料館を訪ねました。
紀伊国屋は新居宿にあった紀州藩の御用宿です。
江戸時代、新居宿内の東海道沿いには20数件の旅籠が軒を連ねました。
紀伊国屋の創業は、主人が紀州の出身で、江戸初期に新居に移り住み茶屋を営んだのが始まりといわれます。
江戸時代中期の元禄16年(1703)には徳川御三家紀州藩の御用宿となっており、その後「紀伊国屋」の屋号を掲げ、昭和戦後に廃業するまで約250年、旅館業を営みました。
建物は明治初めの再建ですが、随所に江戸期の建築様式を色濃く残し、平成13年(2001)に解体修理を行い、当時の風情を体感できる施設として公開しています。 (市指定有形文化財) 湖西市観光振興協議会HP参照
次の間から上の間へ
上の間
最も奥に位置する奥座敷は、大名など身分の高い人のために使われました。
奥座敷
部屋からは日本庭園が見られます。
小松楼の2階は、座敷となっており、間取りやべんがら色の壁など当時の面影を残しています。
芸者置屋の後は、間貸しをしたり、家族が暮らしていたため、明治から平成までの少しずつの増改築の跡が見られる建物となっています。
昔のヤマハオルガン
昔のミシンもありました。
小松楼には芸者がお稽古に使った本や、三味線太鼓などの楽器、櫛や黛などの化粧道具が残っています。
当時の芸者たちの写真も飾られています。
皆さん、お綺麗ですね!
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