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2020年1月14日 (火)

大原の源平史跡(2)後鳥羽天皇・順徳天皇 大原陵

三千院の参道を北に進んでいき、三千院を通り過ぎると、左手に実光院があります。

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その向かい側の小高いところに、後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵があります。

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後鳥羽天皇

[生]治承4(1180).7.14. 京都
[没]延応1(1239).2.22. 隠岐
第 82代の天皇 (在位 1183~98) 。名は尊成 (たかひら) 。高倉天皇第4皇子。母は准后七条院藤原殖子 (やすこ。坊門信隆の娘) 。寿永2 (83) 年安徳天皇が平氏に擁されて都落ちしたのち,祖父後白河法皇の意向で皇嗣に選ばれ践祚。建久3 (92) 年法皇の崩御後は天皇親政とし,同9年為仁 (土御門天皇) に譲位し,上皇として院政を行なった。この間親幕派九条兼実を退け,土御門通親を重用して幕府圧力の排除を企図し,一方西面の武士を新設して武力の充実に努めた。子順徳天皇らと討幕を計画し,承久の乱となったが,幕府に完敗して隠岐に流され同島で没した。初め顕徳院の諡号が贈られたが,怨霊出現の世評により,後鳥羽院と改称された。文武諸道に秀で,ことに和歌にすぐれて長者と仰がれ,歌会,歌合も盛んに催したが,千五百番歌合は最大のものとして名高い。また藤原定家らに『新古今和歌集』を撰せしめ,配流ののちもみずから撰を続け,『隠岐本新古今集』を完成した。日記に『後鳥羽天皇宸記』がある。陵墓は京都市左京区大原勝林院町の大原陵。島根県隠岐郡海士町に火葬塚がある。(コトバンクより)


順徳天皇

没年:仁治3.9.12(1242.10.7)
生年:建久8.9.10(1197.10.22)
鎌倉前期の天皇。諱 は守成。在位は承元4(1210)~承久3(1221)。後鳥羽天皇の第3皇子。母の修明門院重子は後鳥羽を養育した従二位(贈左大臣正一位)藤原範季の娘で,二条局と称して後鳥羽に仕え,寵を得て愛妃となった。その母が後鳥羽の腹心の女房卿二位の養女であったために,順徳は卿二位邸で誕生し,正治1(1199)年に3歳で父院の御所に引き取られるまで,卿二位に育てられたとみられる。同年11月親王となり,翌2年4月東宮となる。承元2(1208)年12月元服。同4(1210)年11月,14歳で即位。この間,父と同居したが,しばしば乳父藤原範光邸を御所とした。即位後の内裏は閑院であった。在位中は後鳥羽の院政下であったため,政務にあずかることはなく,有職故実の研究や,和歌,詩,管弦など芸能の修練に傾倒した。著書に,内裏の公事・故実,天皇や側近のあり方などを記した『禁秘鈔』や従来の歌論を集大成した『八雲御抄』などがある。後鳥羽上皇の討幕計画(承久の乱)に参画し,それに備えるため乱の直前の承久3(1221)年4月,東宮懐成(仲恭天皇)に譲位した。しかし乱の敗退で同年7月佐渡に配流され,配所で崩じた。配流後は佐渡院と称されたが,建長1(1249)年,順徳院と追号された。(コトバンクより)

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大原陵の周りも美しい紅葉に囲まれていました。

 

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コメント

後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵の参拝は一度ですが、記事にしています。ここで初めて後鳥羽天皇の事を詳しく知りました!

四方さん、コメントありがとうございましたm(__)m
私もかなり久しぶりにこちらを参拝致しました。
他に人は見当たりませんでしたよ。

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