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2020年6月

2020年6月28日 (日)

鞍馬寺(3)不動堂

不動堂には、伝教大師、最澄が天台宗立教の悲願に燃え、一刀三礼を尽くし刻んだ不動明王が奉安されています。

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堂内の不動明王は比叡山開祖伝教大師がここに参籠したときに刻んだと伝えられる。また牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだ舞台は、このあたりであるという。(駒札より)

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2020年6月21日 (日)

鞍馬寺(2)僧正が谷「義経堂」

奥の院魔王殿から木の根道を通ってさらに進んで行きます。

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この辺りは、牛若が天狗に兵法を習った「僧正ガ谷」です。


牛若丸が夜な夜な鞍馬寺を抜け出して、この険しい道を抜け、天狗僧正坊から武芸を習っていたところと思うと、より神秘的な感じが漂ってきます。

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 謡曲「鞍馬天狗」と僧正が谷
 謡曲「鞍馬天狗」は、源義経幼時の武勇説話を現代物に脚色した曲である。鞍馬山の東谷の僧が、西谷の花見の招きを受けて修行中の稚児平家の公達や牛若丸連れて出かけたが、見知らぬ山伏が来たので気を悪くして帰ってしまった。ただ一人残っている牛若丸の素性を知り憐れんだ山伏は諸所の花の名所を案内し「自分は大天狗である。平家討滅の望みの達せられるように兵法の秘伝を授けよう」といい、翌日からのはげしい修業の末、約束の如く兵法を授け再会を約して大天狗は立ち去ったという豪壮な物語である。
 僧正が谷は牛若丸が天狗僧正坊から武芸を習った処で、老杉高く聳(そび)え、巨根を這って昼なお闇く神秘感を漂わせている。

  謡曲史跡保存会(駒札より)

 

義経堂

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奥州で非業の死を遂げた義経の御魂は、懐かしい鞍馬山に戻り安らかに鎮まっていると伝えられ、遮那王尊として祀られています。

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歴史には文治5年(1189)4月、奥州衣川の合戦にて自害したと伝わるが、義経公の御魂はこの山にもどられ、遮那王尊尊として護法魔王尊の破邪顕王のお働きを助けておられるという。
この義経堂には遮那王尊をおまつりする。

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2020年6月13日 (土)

鞍馬寺(1)奥の院魔王殿

貴船神社奥宮から鞍馬寺西門に到着しました。

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ここは貴船神社側から鞍馬寺への参拝口でもあります。

登山客の御一行が、ちょうど私の前にいたので、後を追うように登って行きました。

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何度上ってもハードな上り坂であります(^^;

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やっと第一の目的地「奥の院魔王殿」に到着!

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鞍馬寺最強のパワースポットと言われています。

ここだけ空気が違うような雰囲気がします。

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魔王殿

650万年前、金星から来た護法魔王尊が降臨したところと伝えられ、石灰岩が重なる柵内は、日本庭園の源流になったといわれています。

奥の院
奥の院は鞍馬山随一の聖地で、大杉権現、僧正が谷不動堂、魔王殿等の堂宇のほか、不動の滝や息次ぎの水、背比べ石、兵法場などの義経ゆかりの遺跡などがあり、木の根の参道はいかにも鞍馬らしい。

(駒札より)

 

「木太刀もて岩を斬りたる遮那王の やという声に似る歌無きか」
与謝野寛(鉄幹)

「太刀跡の岩 義経が裂きたるや 杜鵑の声が紋を残すや」
与謝野晶子

 

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2020年6月 6日 (土)

貴船神社(10)丑ノ刻詣と鉄輪伝説

貴船神社は、心願成就信仰としての「丑ノ刻詣」でも知られています。
昔、宇治の橋姫が丑ノ刻詣りをして男に呪いをかけた伝説があり、これをもとに作られたのが謡曲「鉄輪」です。橋姫が頭にのせた鉄輪を老いた鉄輪掛石が貴船口駅の傍らにあるそうです。

丑ノ刻詣りというと、単に呪いをかけるというイメージがありますが、本来は貴船明神が貴船山にご降臨されたのが「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」であったということから、心願成就の参拝方法であったということです。(謡曲史跡保存会の看板を参照)

また縁結びの貴船神社に対して、宇治の橋姫神社は縁切りの神様として知られています。

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以下Wikipediaの説明です。

丑の刻参り、丑の時参り(うしのこくまいり、うしのときまいり)とは、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込むという、日本に古来伝わる呪術の一種。典型では、嫉妬心にさいなむ女性が、白衣に扮し、灯したロウソクを突き立てた鉄輪を頭にかぶった姿でおこなうものである。連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪う相手が死ぬが、行為を他人に見られると効力が失せると信じられた。ゆかりの場所としては京都市の貴船神社が有名。ただ、貴船神社は24時間開門していないため実際には着手不可能である。

京都市の貴船神社には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承があったので、そこから呪詛場に転じたのだろうと考察される。
また、今日に伝わる丑の刻参りの原型のひとつが「宇治の橋姫」伝説であるが、ここでも貴船神社がまつわる。橋姫は、妬む相手を取殺すため鬼神となるを貴船神社に願い、その達成の方法として「21日(三七日、さんしちにち)の間、宇治川に漬かれ」との神託を受けた。それを記した文献は、鎌倉時代後期に書かれ、裏平家物語として知られる屋代本『平家物語』「剣之巻」であるが、これによれば、橋姫はもとは嵯峨天皇の御世の人だったが、鬼となり、妬む相手の縁者を男女とわず殺してえんえんと生き続け、後世の渡辺綱に一条戻橋ところ、名刀髭切で返り討ちに二の腕を切り落とされ、その腕は安倍晴明に封印されたことになっている。その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式は次のようなものである:
「長なる髪をば五つに分け、五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し、続松(原文ノママ)を拵へて、両方に火をつけて、口にくはへつつ、夜更け人定まりて後、大和大路へ走り出て……」

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