鞍馬寺(21)双福苑
この辺り一帯が双福苑と呼ばれています。
天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇し、傍らには、福徳の神である「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」の祠があります。
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この辺り一帯が双福苑と呼ばれています。
天に聳える杉を「玉杉大黒天」と尊崇し、傍らには、福徳の神である「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」の祠があります。
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貞明皇后(大正天皇の皇后)が行啓の際、休息された石段の参道を降りてくると、中門があります。
元来、山麓の仁王門の横にあって勅使門または四脚門と呼ばれ、朝廷の使いである勅使の通る門でしたが、この場所に移築されました。
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貞明皇后行啓御休息跡は、大正13年、貞明皇后(大正天皇の皇后)が行啓の際、休息された場所です。
画像(Wikipediaより)
大正天皇の皇后。昭和天皇、秩父(ちちぶ)宮雍仁(やすひと)親王、高松宮宣仁(のぶひと)親王、三笠(みかさ)宮崇仁(たかひと)親王の生母。名は節子(さだこ)。明治17年6月25日公爵九条道孝(くじょうみちたか)の第四女として生まれる。1898年(明治31)華族女学校小学部を卒業、1900年5月10日皇太子明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王と結婚。12年(大正1)7月30日明治天皇の死去とともに皇后の宣下を受け、15年11月即位の大典を挙行した。26年12月25日大正天皇の死去により皇太后となり、30年(昭和5)には大宮御所(赤坂離宮御苑内)に移り、昭和26年5月17日狭心症のため死去、同年6月貞明皇后と追号された。陵墓は東京都八王子市の多摩東陵で、大正天皇と並んで葬られている。皇后としては病弱な大正天皇によく尽くし、皇太后としては救癩(きゅうらい)事業などを援助した。また和歌をたしなみ、それらは宮内庁書陵部編『貞明皇后御集』に収められている。
(コトバンクより)
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巽の弁財天社は、学芸・財宝を司る福神、弁財天が祀られています。
水琴窟も付設されています。
本殿の東南・巽の方角にあるので「巽の弁財天さま」と呼ばれ、福徳、智恵、財宝、技芸を授ける神として信仰されている。(駒札より)
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転法輪堂、伝重怡上人礼拝之仏、木造阿弥陀如来座像(江戸時代)平安時代に13年間も堂内に籠り、毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続けた重怡上人が、6万字の弥陀宝号を書いて法輪に納めたのが、転法輪堂の名の由来といいます。
洗心亭は、参拝者のための無料休憩所とギャラリーを併設しています。
洗心亭からの眺め
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