鞍馬寺(29)仁王門(山門)
仁王門(山門)の創建は寿永年間(1182年~1184年、平安時代最末期)と伝えられています。
1891年(明治24年)に焼失し、1911年(明治44年)に再建されました。
左側の扉1枚は寿永年間の頃のものと考えられています。
両側に立つ仁王像は湛慶(運慶の嫡男)の作と伝えられ、再建時に丹波国から移されたといいます。
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仁王門(山門)の創建は寿永年間(1182年~1184年、平安時代最末期)と伝えられています。
1891年(明治24年)に焼失し、1911年(明治44年)に再建されました。
左側の扉1枚は寿永年間の頃のものと考えられています。
両側に立つ仁王像は湛慶(運慶の嫡男)の作と伝えられ、再建時に丹波国から移されたといいます。
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吉鞍稲荷大明神と茶枳尼天尊を祀っています。
普明殿という仏堂が、鞍馬山ケーブルの山門駅の駅舎を兼ねています。
この山門駅と多宝塔駅を結んでいます。
1階の正面入口の正面には、仏像(毘沙門天)が安置されています。
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『義経記』で義経は、兵法の大家、鬼一法眼から兵法書 『六韜』 を盗み、学んだとされています。
鬼一法眼(きいちほうげん、おにいちほうげん)は、室町時代初期に書かれた『義経記』巻2に登場する伝説上の人物。
京の一条堀川に住んだ陰陽師。『六韜』という兵法の大家でもあり、文武の達人とされる。源義経がその娘と通じて伝家の兵書『六韜』を盗み学んだという伝説で有名。また剣術においても、京八流の祖として、また剣術の神として崇められている。
浄瑠璃「鬼一法眼三略巻」(長谷川千四、文耕堂、1731年、竹本座)でも広く知られた。(Wikipediaより)
義経伝説に登場する陰陽師。「おにいちほうげん」ともいう。実在は不明。『義経記』では,京の一条堀川に住み,天下の兵法書『六韜三略』を秘蔵している。牛若丸はそれを見ようとしたが許されず,法眼の末娘と契りを交わし,娘のはからいで『六韜』を手に入れ1字も余さず覚えてしまう。法眼は激怒し,妹婿の湛海を追っ手に差し向けたが,返り討ちにあった。娘は牛若丸と別れた悲しみのあまり死んでしまい,法眼は悲しみにうち沈む。鬼一法眼はお伽草子『判官都ばなし』や謡曲「湛海」にも登場し,浄瑠璃では「鬼一法眼三略巻」が有名で,のちに歌舞伎にもなった。
(コトバンクより)
※2019年11月当時、台風により損傷、修復中でした。
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本殿は、慶長12年(1607年)に豊臣秀頼により再建されました。
祭神:素戔嗚命。商売繁昌の神様。
祭神:事代主命・大山祇命。
願掛け杉の御神木。樹齢:約800年 樹高:約53メートル
古くから『大杉さん』として親しまれ、一心に願えば願ことが叶うとされています。
珍しい天狗のおみくじがあります。
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