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2021年2月

2021年2月24日 (水)

胡宮神社(1)

近江鉄道多賀線「多賀大社前駅」下車、徒歩15分ほどのところに鎮座する胡宮神社は、眼下に名神高速道路を見下ろす眺めの良い丘の上に立ち、寿福・延命に御利益があると伝えられています。

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彦根在住の友人の車で案内してもらいました。


青龍山の巨石信仰が起源といわれ、祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。
もとは敏満寺(びんまんじ)の鎮守社であったので、敏満寺の境内であったといわれる場所に建っています。


敏満寺は、聖徳太子開基の天台宗の寺院で、湖東三山と並ぶほどの名刹でしたが、織田信長と浅井長政との戦により焼失、廃寺となり、神社のみが再建されました。

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現在は胡宮神社の境内に、金堂や大門跡が残っています。

鎌倉時代前期の銘がある境内の銅製五輪塔は、重源(ちょうげん)が延命祈願をして願いが叶い、寄進をしたものと伝えられ、国指定の重要文化財になっています。

名神高速道路多賀サービスエリアから胡宮神社まで遊歩道が続いています。

 

 

 

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2021年2月17日 (水)

源実朝の後室・坊門信子ゆかりの本覚寺

京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町ある本覚寺は、源実朝の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので、寺名は信子の法名本覚をとったもの。

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本覚寺は、光源氏のモデルとなった源融の邸宅・河原院の跡地にあります 。

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山号を佛性山(ぶっしょうざん)といい浄土宗の寺で、開祖は團譽(だんよ)上人玉翁(ぎょくおう)和尚である。ここは嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の河原院塩竃(しおがま)の第(だい)のあったところで、今この辺を本塩竃町という。寺伝によれば、初め西八条の遍照心院(1名、大通院)内に将軍源実朝(さねとも)の後室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)が貞応元年(1222)に創建したもので寺名は信子の法名本覚をとったものである。その後、梅小路堀川に移転し、応仁の乱の荒廃のあと細川政元により高辻烏丸に再建せられ、末寺14を有する本山となった。その後、後柏原天皇の勅願寺となったが、天正19年(1591)豊臣秀吉の命によってさらに今の地に移った。境内墓地には八文字屋本の全盛期を築いた江戸中期の版元・八文字屋自笑(じしょう)の墓がある。下京区富小路通五条下る本塩竈町

 

 

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2021年2月 8日 (月)

平清盛終焉推定地(高倉天皇誕生地)

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平清盛終焉推定地(高倉天皇誕生地)

 この地はもと平安京八条大路と鴨川の交点近くで、条坊表記では左京八条四坊一三町にあたります。
この付近で平清盛は六十四年の生涯を閉じたと考えられています。その最期のシ-ンは、「平家物語」によってよく知られます。熱病にうなされながらも台頭する政敵源頼朝の追討を望み、その首級を墓前に供えよと遺言するものです。

 清盛終焉の場所については、鎌倉幕府が後世にまとめた記録「吾妻鏡」の治承5年閏2月4日条(1181年)に記載があります。
それによると、「九条河原口の盛国が家」だとあります。これは清盛の家司(けいし)、平盛国亭(邸)と思われます。

 平盛国亭とすれば、ここではほかにも重要なできごとがありました。
 それより二十年さかのぼる永暦2年9月3日(1161年)、後白河上皇の第七皇子憲仁親王が産まれています。
のちの高倉天皇です。生母は女御平滋子(建春門院)で、清盛の正室時子の異母姉妹にあたります。清盛が天皇の外戚となるきっかけを得た地といえましょう。

 さて憲仁親王(高倉天皇)の誕生を伝えた同時代の廷臣(ていしん)中原師元(なかはらのもろもと)の日記「師元朝臣記(もろもとあそんき)」によれば、平盛国亭は「八条河原」にあったと記されています。
先の「吾妻鏡」の記載と異なります。どう理解すればよいのでしょうか。

 歴史学の方法では、のちの関東(鎌倉)でまとめられた記録より、同時代に平盛国亭と身近に接していた廷臣の日記の方が、史料価値は高いと判断されます。
そのため、現段階では「九条は八条の誤記」というのが有力です(高橋昌明氏「清盛家 家政の一断面」、笠井昌昭氏編「文化史学の挑戦」587頁、思文閣出版、2005年)。当地を清盛終焉の地と認識するのは以上の理由からです。

 この地は平家のふたつの邸宅群、六波羅地区と西八条地区のほぼ真ん中にあたり、両者に目配りをするには好都合だったのかもしれません。

 なおその遺骸は「平家物語」によれば洛東愛宕(おたぎ)(現東山区六道珍皇寺付近)で火葬され、摂津国経の島(現兵庫県神戸市兵庫区切戸町付近)、「吾妻鏡」によれば山田の法華堂(現神戸市垂水区西舞子付近)に納骨されました。

 当地は歴史や文学の重要な舞台地にほかならず、永くこれを顕彰するため建碑いたすものです。

2012年(平成24年壬辰)12月
特定非営利活動 法人京都歴史地理同好会
理事長 中村武生

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平清盛終焉地については、諸説あります。

清盛の死没地については『吾妻鏡』の記す「九条河原口盛国家」が最も重要な拠り所であり、これを根拠として、鴨川東岸にあった平盛国の屋敷であると、長らくそのように語られてきた。

しかし、1989年(平成元年)、「九条河原口盛国家」の「盛国家」は平盛国邸ではなく権大納言・藤原邦綱の父・右馬権助盛国(藤原盛国)の屋敷であるとの説を、上横手雅敬が提唱した。

次いで2005年(平成17年)、今度は高橋昌明が、鴨川東岸の平盛国邸が憲仁親王(高倉天皇)の生誕地でもあることを手掛かりに照合した結果、「九条」は「八条」の誤記であろうとの見解を表明した。八条河原口であれば、鴨川を挟んだ対岸に後白河院御所(法住寺殿御所)、西に西八条第(清盛邸。別称:八条亭)、北北東に六波羅が位置しており、また、西八条第および六波羅とはほぼ等距離にあるため、平氏の家政を預かる盛国の屋敷としては最適所と言える。

なお、『平家物語』「慈心坊」の巻6 には、清盛の葬送の夜、拍子をとって舞い踊りながらどっと笑う2、30人の声が法住寺殿のほうからしたとの記述がある。また、『百錬抄』の養和元年閏2月4日条には、より具体的に、法住寺殿の最勝光院から今様乱舞の声が聞こえてきたとある。八条河原口からはそれを確かに聴くことができるが、九条河原口では距離がありすぎてこの逸話は成立し得ない。
(Wikipediaより)

 

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2021年2月 1日 (月)

崇仁の名の由来と銭座場跡

昨年の9月、京都駅前から「平清盛終焉推定地・高倉天皇誕生地」を探しに史跡めぐりの旅をスタートしました。


何度も京都駅周辺には宿泊してきましたが、この辺りを歩くのは初めてです。

京都駅八条口から八条通りを東へ徒歩約10分。

崇仁の名の由来と銭座場跡」の案内板が目に入りました。

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桓武天皇の延暦 13 (794) 年から平清盛の福原遷都 (1180) を除いて,明治2 (1869) 年の東京遷都まで 1000年あまりの都。いまの京都市。和気清麻呂の建議により,延暦 12年 (793) 葛野に新都造営を着手,翌年遷都し,新都を平安京と名づけた。唐の長安をまねてつくられ,規模は南北 38町 (約 5.32km) ,東西 32町 (約 4.57km) 。北部中央に宮城 (→大内裏 ) を設け,中央の朱雀大路により,都城は左京 (東京) と右京 (西京) に分けられる。両京とも,縦横に走る道路により碁盤目形に区画され,北は一条から南は九条に及ぶ9条に,東西はそれぞれ一坊から四坊に及ぶ4坊に分けられる。右京はほとんど開発されず,平安時代後期,皇居が大内裏から,左京内の土御門内裏や閑院内裏など里内裏に移ると,左京はますます繁栄した。大内裏は 13世紀廃亡,内野 (うちの) となった。応仁の乱中,大部分は灰燼に帰したが,豊臣秀吉の新都市建設によって今日の京都へと発展した。
(コトバンクより)

 

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このすぐ先の角を曲がったところが目的地です。

 

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