胡宮神社(4) 平清盛出生の謎
さて、なぜこの胡宮神社に行ったのかというと、こちらには、「平清盛出生の謎」を示すものが伝わる寺院だからです。
明治26年(1893年)に発見された胡宮神社所蔵の『仏舎利相承系図』には、清盛の母「女房」は祇園女御の妹であり、姉の祇園女御が清盛を「猶子」として白河院所有の仏舎利を清盛に伝えたことが記されているそうです。
永久6年1月18日(1118年2月10日)、伊勢平氏の棟梁である平忠盛の長男として生まれる(実父は白河法皇という説もある。詳細後述)。出身地は京都府京都市という説が有力である。生母は不明だが、もと白河法皇に仕えた女房で、忠盛の妻となった女性(『中右記』によると保安元年(1120年)没)である可能性が高い。『平家物語』の語り本系の諸本は清盛の生母を祇園女御としているが、読み本系の延慶本は清盛は祇園女御に仕えた中﨟女房の腹であったというように書いている。また、近江国胡宮神社文書(『仏舎利相承系図』)は清盛生母を祇園女御の妹とし、祇園女御が清盛を猶子としたと記している。清盛が忠盛の正室の子でない(あるいは生母が始め正室であったかもしれないがその死後である)にもかかわらず嫡男となった背景には、後見役である祇園女御の権勢があったとも考えられる。
(Wikipediaより)
真相はどうなのでしょうね。
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