京都市東山区にある長楽寺を久しぶりに訪ねました。

寺伝によると、長楽寺は、延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命によって、伝教大師を開基として大師御親作の観世音菩薩を本尊として創建されました。
当初は、比叡山延暦寺の別院として建てられましたが、その後室町時代の初期当時の一代の名僧国阿上人に譲られ時宗(宗祖一遍上人)に改まり、明治39年に時宗の総本山格であった名刹七条道場金光寺が当寺に合併されました。
もともと円山公園の大部分を含む広大な寺域を持っていましたが、大谷廟建設の際、幕命により境内地を割かれ、明治初年、境内の大半が円山公園に編入され今日に至っています。
御本尊准胝観世音菩薩は、伝教大師入唐の際、海上俄に暴風起り、船まさに破れんとした時、大師舳にすすみ、除難のため三宝の救護を祈願し給うに、忽然として光明照耀して、二頭の竜神その頭に准胝観世音を奉戴して、大師の船側に近づき、観世音菩薩大師の御衣の袖に飛び移り拾うと覚えて、風波鎮まり無事御帰朝の後、この海上示現の尊像を自ら刻んで当寺の本尊として奉安し給うもので、霊験たぐいなく、古来勅願所として歴代天皇の御帰依深く、勅封の秘仏として奉安せられ、歴朝の御即位式及び御厄年のみに御開帳される秘仏です。


長楽寺の現在の本堂は、寛文6年(1666)に造影された愛宕郡西賀茂村(現在の北区西賀茂)の正伝寺仏殿を、明治23年(1890)に購入して移築したものである。
正伝寺における造営は、日記によると、寛文6年正月13日に「佛殿斧ノ初」とあり、この時に木工事を始めたことがわかる。大工は「北山新蔵」であった。 その後、同年3月18日に「柱立」、3月22日に「梁上」と工事が進んでいる。 建物は、桁行3間・梁行3間の身舎(木屋構造)の四周に庇状構造の裳階が付く禅宗様の仏殿である。内部は身舎を格天井、裳階部を化粧屋根裏とし、床は土間とする。柱は全て丸柱で、石造の礎盤の上に立つ。身舎の柱筋の上には組物を蜜にして、入母屋造・本瓦葺の屋根をのせる。須弥壇前の2本の柱は、身舎背面側の柱筋より半間ほど前方に立ち、背面上部は透かし彫りの欄間をはめる。 この本堂は、建築年代が明らかであり、京都市内では数少ない本格的な小規模禅宗様仏殿の遺構として貴重である。
京都市(駒札より)
長楽寺HP参照
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