建礼門院徳子ゆかりの長楽寺(2)建礼門院御塔
壇ノ浦での合戦では、安徳天皇を抱いた二位の尼(平時子)をはじめ、平家の女官達が次々と海に飛び込む中、着物の袂に硯などのおもりを入れて飛び込んだ建礼門院徳子は、源氏方によって熊手で長い髪の毛を引き寄せられ、死ぬことも許されませんでした。
平家滅亡後、京に戻った建礼門院は、1185年5月1日、東山の長楽寺で、髪をおろしたといわれています。
長楽寺の建礼門院御塔
この御塔は古来長楽寺山々後八丁台の景勝の地に建っていたが、明治初年その地が国有林となった為、知事の命で此地に移る。
源平合戦の後、元暦2年(1185)5月1日当寺の阿証房印誓上人につき、御髪をおろされたときの御髪塔とも伝え又、読みもの系平家物語には、貞応2年(1223)鷲尾において69歳で往生の素懐をとげられたとも、また、御遺骨を鷲尾に納めたともあり、その鷲尾が「鷲尾山長楽寺」(旧呼称)を指しているとすればこの御塔は女院の御舎利塔(女院遷化の史蹟)とも拝される。(駒札より)
鷲尾という地名は、東山区鷲尾町という町の名前に見られます。
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長楽寺(の建礼門院御塔の見護な記事ですね!
投稿: tsuguo shikata | 2021年4月15日 (木) 23時51分
四方さん、大変な状況の時にコメントありがとうございました。
ご無理のないようにお過ごしください。
投稿: | 2021年4月16日 (金) 08時17分