建礼門院徳子ゆかりの長楽寺(5)建礼門院御影
平氏は元暦2年(1185年)3月24日、壇ノ浦の戦いで滅亡。
『平家物語』によると徳子は安徳天皇・時子の入水の後に自らも飛び込みましたが、渡辺昵に救助され、平宗盛・平時忠らと京都に護送されました。宗盛は斬首、時忠は配流となりましたが、徳子は罪に問われることはなく、洛東の吉田の地に隠棲、長楽寺にて、5月1日出家されました。
建礼門院御影
時に御年29才。その時の御影で、建礼門院の御影の古いものは他に類をみず、源氏の目をはばかり、墨を塗り隠しまつられてみたものです。
(画像:長楽寺HPより)
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コメント
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長楽寺の建礼門院御影の見事な記事です!
投稿: tsuguo shikata | 2021年5月15日 (土) 21時11分
四方さん、ありがとうござます。
平家物語のこのあたりの話、何度読んでも良いですね。
投稿: しずか | 2021年5月16日 (日) 10時32分