西国へ落ちる平忠度が訪ねたという俊成社
京都の烏丸松原のオフィス街の谷間にある俊成社。
ここは平安時代末期の歌人である藤原俊成の邸宅のあった場所とされ、俊成の御霊を祀るために創建されました。
俊成は藤原定家の父で、後白河法皇の命で「千載和歌集」を選集しました。
百人一首には
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入り
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなむ
という歌が載せられています。
また、「平家物語」には、平清盛の弟である平忠度が西国へ落ちる際、和歌集に自分の歌を載せて欲しいとこの邸宅を訪ねるくだりがあります。
ここは、藤原俊成の邸跡といわれ後世の人が俊成の霊を祭ったものという。
俊成は平安末鎌倉初期を代表する歌人定家の父で、後白河法皇の命により『千載和歌集』を撰した。
謡曲俊成忠度は平忠度が歌道に執心のこと及びその最後の様を描いた修業物、即ち岡部六弥太忠澄は西海の合戦で忠度を討った時、その尻籠に収めてあった短冊を持って都に帰り、忠度の和歌の師であった俊成の邸を訪れ、その短冊を見せる。
その短冊に、旅宿の花という題「行き暮れて木の下落を宿とせば 花や今宵の主ならまし」と書いてあった。
俊成はその文武両道に優れたのを惜しみ厚く成仏を祈る。 京都市
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