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2021年8月

2021年8月29日 (日)

神泉苑(1)花見発祥の地

神泉苑は、延暦13年(794)、元は桓武天皇により平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。

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苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宮殿があり、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ池(現・法成就池)を中心とした大庭園でした。

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桓武天皇による延暦19年(800)の行幸以来、歴代天皇は神泉苑で宴遊されました。

平城上皇の頃から、重陽節会(菊の節句)や、相撲節会など節会行事も恒例として行うようになり、嵯峨天皇は43回も神泉苑へ行幸されたといいます。

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嵯峨天皇が初めて神泉苑の桜で、花見を行ったことから「花見発祥の地」ともいわれています。

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二条城ほど花見客はおらず、ゆったりと花見をできるのも魅力なところです。

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撮影日 2021.3.27

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2021年8月19日 (木)

清和源氏発祥の地「六孫王神社」

京都駅から西に歩いて10分ぐらいのところにある六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)。

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ここは源氏の祖である源経基の邸宅跡で、清和源氏発祥の地であります。

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六孫王という名は、経基の父が清和天皇の第六皇子だったことに由来し、経基の子・満仲が邸宅跡に霊廟を建て、六の宮と称したのが始まりです。

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その後、源実朝の妻が寺を建て、その鎮守社となりました。

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本殿の背後に経基の墓石があり、境内から「満仲の誕生水」「児ノ水」などの名水が出るそうです。


この神社の東側に平清盛が西八条殿を築きましたが、清盛の死後、平家が都落ちする際、火を放ち消失しました。


境内には、ソメイヨシノやしだれ桜などの他、

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黄緑色の桜が咲く鬱金桜や、黄緑色の花を咲かせる遅咲きの御衣黄(ぎょいこう)など珍しい品種を楽しむことができます。

鬱金桜
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源平枝垂れ桃
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大島桜
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撮影日 2021.4.2

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2021年8月11日 (水)

長等神社と平忠度の歌碑

滋賀県大津市の三井寺の南側に、長等神社があります。

 

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天智天皇が大津京鎮護のため長等山の岩倉に須佐之男大神を祀ったのが始まりで、その後、円珍が日吉大社を合祀し、貞観2年(860)に園城寺(三井寺)の鎮守とし、天喜2年(1054)庶民参詣のため山の上から現在地に移りました。

楼門は明治38年(1905)の完成ですが、中世の様式の造りとなっています。

 

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長等神社楼門

この楼門は、三門一戸、屋根入母屋造、檜皮葺の構造をもっています。
技師安藤時蔵、技術員青池安太郎の設計のもとに明治三十七年五月起工され、同三十八年二月に竣工しました。
この楼門は、比較的小型ながら、上・下の均斉が美しく、左右の広がりも適度に、また各部の曲線も美しくとられ、すぐれた姿をしています。
室町時代頃の様式にのっとった秀作で、明治時代の楼門の代表作とされています。また、建築にかかわる棟札や図面などの資料もよく保存されています。
昭和四十七年七月一日大津市の指定文化財となりました。(駒札より)

 

拝殿

 

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本殿

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境内には、平忠度の歌碑があります。

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平忠度歌碑

さざ波や志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな

平清盛の弟平薩摩守忠度の詠んだこの歌は有名で「平家物語」や「千載和歌集」にみえている。
平忠度は一度訪れたであろう長等の春の清盛を思い起こして 平家都落ちの 際に詠んだのではないかと伝えられている。
この歌碑は長等山の山頂に建てられている碑より多くの人々に見ていただくためにその歌碑を模して当神社の境内に建碑したものである。

(案内板より)

この歌碑は、枝垂れ桜の下にあるので、桜の時期にいつかまた訪れてみたいと思います。

 

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2021年8月 3日 (火)

平忠度が天神画像を奉納した柳原天神社

神戸市兵庫区の柳原天神社

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菅原道真が大宰府へ左遷される途次、大和田泊に上陸し、咲き誇る真野ケ原一帯の梅花を賞で、

「風さむみ雪にまかへて吠く花の柚にそうつれ匂ふ梅が香」と詠みました。


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道真の死後、太宰府にある安楽寺の廟所から道真の分霊をうけて祀ったのがこの神社の起源です。


道真といえば牛ですね!

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当社は、古来、平家一門、また時宗の門徒の信仰篤く、平忠度は「天神画像」の大軸を奉納したと伝えられています。

 

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