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2021年9月

2021年9月29日 (水)

神泉苑(5)数々の復興を遂げた神泉苑

平安時代中期には灌漑用水としても利用されるようになる神泉苑でしたが、治承4年(1180年)大風により荒廃。

建久年間には守覚法親王の命で、源頼朝が社殿の復興を行いました。

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承久の乱によって再び荒廃しますが、北条泰時が復興。

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室町時代、応仁の乱によってまたも荒廃。

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天明8年(1788年)、天明の大火で、多宝塔や社殿が焼失。

江戸時代になり、慶長7年(1602年)徳川家康が二条城を築城する際、 神泉苑の湧水を 取り込み、城の内濠、外濠を満たすこととなり、 神泉苑は境域の北部を失い、著しく規模が縮小。

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それを悲しんだ板倉勝重片桐且元や、筑紫の僧・快我上人が 境内の堂舎を整備し、東寺管轄の寺院として再興しました。

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都名所図会(1780年刊行)に描かれた神泉苑
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昭和10年(1935年)境内全域が国指定の史跡に指定されました。

 

数々の災害や戦乱を乗り越えて復興された歴史が伝わってきます。

 

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2021年9月21日 (火)

神泉苑(4)祇園祭の起源となった御霊会

貞観5年(863年)に都に疫病が流行り、神泉苑御霊会が行われました。

貞観11年(869年)には、神泉苑の南端に66本の鉾を立てて祇園社(八坂神社)から神輿を出しました。

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これが現在の祇園祭の元になったといわれています。

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疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行った。御霊会は疫神や死者の怨霊などを鎮めなだめるために行う祭で、疫病も恨みを現世に残したまま亡くなった人々の怨霊の祟りであると考えられていた。しかし、その後も疫病の流行が続いたために牛頭天王を祀り、御霊会を行って無病息災を祈念した。

864年(貞観6年)から富士山の大噴火が起こって溶岩が大規模に流出して山麓に達し、869年(貞観11年)には陸奥で貞観地震が起こり、津波によって多数の犠牲者が出るなど、全国的に地殻変動が続き、社会不安が深刻化する中、全国の国の数を表す66本の矛を卜部日良麿が立て、その矛に諸国の悪霊を移し宿らせることで諸国の穢れを祓い、神輿3基を送り薬師如来を本地とする牛頭天王を祀り御霊会を執り行った。この869年(貞観11年)の御霊会が祇園祭の起源とされており、2019年(令和元年)には祭の1150周年を祝うほど、長い歴史を持っている。
(Wikipediaより)

 

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2021年9月14日 (火)

神泉苑(3)弘法大師空海の祈雨

天長元年(824)、日本中が日照りの際には、 淳和天皇の勅命により、 弘法大師空海神泉苑の池畔にて祈雨を行い、 北印度の無熱池の善女龍王を勧請しました。

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日本国中雨が降り、人々は大いに喜びました。

以来、神泉苑の池には、竜神(善女竜王)が住むといわれています。

 

善女竜王社
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また空海以降も真言宗の僧による雨乞いが何度も行われています。

 


撮影日 2021.3.27

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2021年9月 5日 (日)

神泉苑(2)源義経と静御前が初めて出会った場所

後に神泉苑は、降雨を祈って読経や歌舞が奉納されるようになり、静御前による祈雨の舞や、小野小町による雨乞いの歌も 現在に伝わっています。

 

小野小町

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伝承では、源義経静御前が初めて出会った場所といわれ、静が雨乞いの舞を舞い、その姿を義経が見初めたといいます。

 

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『静御前と神泉苑』
今を去る寿永元年(1182年)、大日照りとなり賀茂川や桂川の水も絶え、日本中の人々が苦しんだ。
慣例によって神泉苑に各寺院の高僧が100名集められ、経を読み雨を祈ったが効験がなかった。
そこで、見目麗しい百人の白拍子を神泉苑に集め、後白河法皇の行幸を仰ぎ、九十九人が舞いを舞ったが
効験はなかった。

「あと一人舞ったくらいで龍神様が雨を降らせるだろうか」という意見もあったが、
法王は静御前に舞わせてみた。
静御前が舞いを舞ったところ、にわかに黒雲が出てきて、三日間大雨が降り続いて
国土は安穏になった。
法王は感激されて、静御前に「日本一」の称号を与えた。(義経記より)

法成就池
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法成橋
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撮影日 2021.3.27

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