神泉苑(5)数々の復興を遂げた神泉苑
平安時代中期には灌漑用水としても利用されるようになる神泉苑でしたが、治承4年(1180年)大風により荒廃。
建久年間には守覚法親王の命で、源頼朝が社殿の復興を行いました。
承久の乱によって再び荒廃しますが、北条泰時が復興。
室町時代、応仁の乱によってまたも荒廃。
天明8年(1788年)、天明の大火で、多宝塔や社殿が焼失。
江戸時代になり、慶長7年(1602年)徳川家康が二条城を築城する際、 神泉苑の湧水を 取り込み、城の内濠、外濠を満たすこととなり、 神泉苑は境域の北部を失い、著しく規模が縮小。
それを悲しんだ板倉勝重、片桐且元や、筑紫の僧・快我上人が 境内の堂舎を整備し、東寺管轄の寺院として再興しました。
昭和10年(1935年)境内全域が国指定の史跡に指定されました。
数々の災害や戦乱を乗り越えて復興された歴史が伝わってきます。
ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!
最近のコメント