« 神泉苑(4)祇園祭の起源となった御霊会 | トップページ | 駒繋神社(1)源義家・頼義父子、源頼朝が戦勝祈願した神社 »

2021年9月29日 (水)

神泉苑(5)数々の復興を遂げた神泉苑

平安時代中期には灌漑用水としても利用されるようになる神泉苑でしたが、治承4年(1180年)大風により荒廃。

建久年間には守覚法親王の命で、源頼朝が社殿の復興を行いました。

Photo_20210929083201 Minamoto_no_yoritomo

承久の乱によって再び荒廃しますが、北条泰時が復興。

Photo_20210929083205

室町時代、応仁の乱によってまたも荒廃。

Photo_20210929083203

天明8年(1788年)、天明の大火で、多宝塔や社殿が焼失。

江戸時代になり、慶長7年(1602年)徳川家康が二条城を築城する際、 神泉苑の湧水を 取り込み、城の内濠、外濠を満たすこととなり、 神泉苑は境域の北部を失い、著しく規模が縮小。

Photo_20210929083202

それを悲しんだ板倉勝重片桐且元や、筑紫の僧・快我上人が 境内の堂舎を整備し、東寺管轄の寺院として再興しました。

Photo_20210929083202 Photo_20210929083204

都名所図会(1780年刊行)に描かれた神泉苑
Meisyozue_mid


昭和10年(1935年)境内全域が国指定の史跡に指定されました。

 

数々の災害や戦乱を乗り越えて復興された歴史が伝わってきます。

 

ブログランキングに参加しています。

応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

 


偉人・歴史人物ランキング

 

 

« 神泉苑(4)祇園祭の起源となった御霊会 | トップページ | 駒繋神社(1)源義家・頼義父子、源頼朝が戦勝祈願した神社 »

コメント

「数々の復興を遂げた神泉苑」の見事な記事です!

四方さん、ありがとうございましたm(__)m

歴史を遡ると、様々なことが見えてきますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 神泉苑(4)祇園祭の起源となった御霊会 | トップページ | 駒繋神社(1)源義家・頼義父子、源頼朝が戦勝祈願した神社 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ