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2021年10月

2021年10月26日 (火)

「岩淵の渡船場跡」を訪ねて(1)

一昨年の秋、東京メトロ南北線の赤羽岩淵駅から荒川周辺を散策してきました。

「岩槻街道岩淵宿問屋場跡之碑」
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荒川に架かる新荒川大橋の途中で、東京都から埼玉県へとなります。

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岩淵は古くからある地名である。室町時代の『小田原衆所領役帳』には、「太田新六郎知行江戸岩淵五ヶ村」とあり、すでに岩淵郷が複数に分かれていたことがわかる。五ヶ村の内訳は後の大字、すなわち、岩淵宿、稲付村、赤羽根村、袋村、下村であろうと考えられている。江戸時代には赤羽の八幡神社がこの五ヶ村の総鎮守であった。また、江戸時代にはこの岩淵から新堀村(現在の荒川区西日暮里)、下駒込村(現在の文京区本駒込)のあたりまで広く岩淵領が置かれていた。

 

岩淵宿日光御成街道の第一の宿駅であり、岩淵郷の本村である。「元禄の改め」では岩淵本宿と記され、「正保の改め」では岩淵町と記されている。明治に入り、岩淵本宿町が正式な名称となった。稲付村、赤羽根村、袋村、下村は、元は岩淵郷のうちであり、いつ頃分立したかは不明。岩淵宿、稲付村、赤羽根村は江戸時代には寺社領であった。袋村、下村は天領であったが、後に天領と寺社領の入会となった。神谷村は旗本領であった。また、岩淵宿、稲付村、赤羽根村、下村は荒川の対岸に持添新田を持っていた。赤羽根村は明治に入り赤羽村に改称された。

 

1889年(明治22年)、市制町村制により、岩淵本宿町、稲付村、赤羽村、袋村、下村、神谷村が合併し岩淵町となった。当初、北豊島郡が出した案は前述の六町村に上十条村を加え「赤羽村」とするものであった。上十条村が加えられていたのは、新・王子村には滝野川村の半分を加えるつもりであったことによる。「赤羽村」という名称にする予定であったのは、鉄道の発展により岩淵本宿町が衰退し、軍事都市赤羽が発達しつつあったことによるが、岩淵本宿町が分村の名前に変えられることへ大きく反発したため、結果として「岩淵町」が採用された。規模的には村のほうがふさわしいが、岩淵本宿町はかつて村であったことがなかったため、町となった。(Wikipediaより)

 

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2021年10月17日 (日)

駒繋神社(2)源頼朝ゆかりの地名

世田谷区のHPに「馬引沢」「下馬」の地名と芦毛塚の由来が紹介されています。

ずっと古く文治5年(1189年)に源頼朝藤原泰衡を討伐するために鎌倉を出発して、奥州平泉へ向かってこの土地を通った時のことです。ここ、蛇崩の激しい沢筋にさしかかったところ、突然頼朝の乗った馬が暴れだして沢の深みに落ちてしまいました。急いで馬を助けようとしましたが、まもなく馬は死んでしまい、そこで頼朝は馬を沢沿いの地に葬り、その馬が芦毛だったことから芦毛塚と名づけました。頼朝はこの事故を戒めとして、「この沢は馬を引いて渡るべし」と申し渡したので、以後馬引沢の名がつけられたということです。 この芦毛塚は、今の下馬の地に残されています。


しかし、頼朝としては幸先の悪い出来事でした。その時1人の老婆が現れて、馬の死という不吉をはらって戦勝を祈るために、近くの子の神に詣でることをすすめたのでした。頼朝はこれに従って祈願した後、奥州に兵を進めたところ、幸い戦に勝つことができたので、帰りに再び子の神にお礼参りに立ち寄りました。そのとき頼朝が馬を繋いだ松は、駒繋松(今の松は3代目という)と名づけられ、子の神は駒繋神社と改められたということです。(世田谷区HPより)

 

社殿
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社殿は、昭和38年に竣功した鉄筋コンクリートの流れ造り。明治31年に建てられた旧社殿は、本殿に納められています。


神楽殿
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神楽殿は、明治25年に竣功しました。
毎年のお祭りの時に奉納行事として、地域の民舞連合による民舞が執り行われます。
また、時代劇をはじめテレビ、映画の撮影にロケ地として利用されています。


招魂社
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昭和39年に旧拝殿を移築し、招魂社として創建されました。

御嶽神社・榛名神社・三峯神社
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天保15年(1844)に、五穀豊穣、盗難・火難除、家内安全を目的とした講によりお祀りされました。


稲荷社
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二社の稲荷神社は、本殿の北側南向きの社は、南の方を、南側北向きの社は、北の方をそれぞれ守護していると云われています。
(駒繋神社HPより)

 

 

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2021年10月 9日 (土)

駒繋神社(1)源義家・頼義父子、源頼朝が戦勝祈願した神社

東京都世田谷区下馬にある駒繋神社

駒繋橋
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創建年代は不詳ですが、天喜4年(1056年)源義家と父・頼義が、奥州の安部氏征討に向かう途中、戦勝祈願したとされています。

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また源頼朝が奥州の藤原泰衡征伐の際にも、松の木に駒を繋いで戦勝祈願したと伝えられています。

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