駒繋神社(2)源頼朝ゆかりの地名
世田谷区のHPに「馬引沢」「下馬」の地名と芦毛塚の由来が紹介されています。
ずっと古く文治5年(1189年)に源頼朝が藤原泰衡を討伐するために鎌倉を出発して、奥州平泉へ向かってこの土地を通った時のことです。ここ、蛇崩の激しい沢筋にさしかかったところ、突然頼朝の乗った馬が暴れだして沢の深みに落ちてしまいました。急いで馬を助けようとしましたが、まもなく馬は死んでしまい、そこで頼朝は馬を沢沿いの地に葬り、その馬が芦毛だったことから芦毛塚と名づけました。頼朝はこの事故を戒めとして、「この沢は馬を引いて渡るべし」と申し渡したので、以後馬引沢の名がつけられたということです。 この芦毛塚は、今の下馬の地に残されています。
しかし、頼朝としては幸先の悪い出来事でした。その時1人の老婆が現れて、馬の死という不吉をはらって戦勝を祈るために、近くの子の神に詣でることをすすめたのでした。頼朝はこれに従って祈願した後、奥州に兵を進めたところ、幸い戦に勝つことができたので、帰りに再び子の神にお礼参りに立ち寄りました。そのとき頼朝が馬を繋いだ松は、駒繋松(今の松は3代目という)と名づけられ、子の神は駒繋神社と改められたということです。(世田谷区HPより)
社殿
社殿は、昭和38年に竣功した鉄筋コンクリートの流れ造り。明治31年に建てられた旧社殿は、本殿に納められています。
神楽殿
神楽殿は、明治25年に竣功しました。
毎年のお祭りの時に奉納行事として、地域の民舞連合による民舞が執り行われます。
また、時代劇をはじめテレビ、映画の撮影にロケ地として利用されています。
招魂社
昭和39年に旧拝殿を移築し、招魂社として創建されました。
御嶽神社・榛名神社・三峯神社
天保15年(1844)に、五穀豊穣、盗難・火難除、家内安全を目的とした講によりお祀りされました。
稲荷社
二社の稲荷神社は、本殿の北側南向きの社は、南の方を、南側北向きの社は、北の方をそれぞれ守護していると云われています。
(駒繋神社HPより)
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コメント
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源頼朝ゆかりの地名の駒繋神社の素晴らしい記事です!
投稿: tsuguo shikata | 2021年10月18日 (月) 06時54分
源頼朝ゆかりの地名の駒繋神社の素晴らしい記事です!
投稿: tsuguo shikata | 2021年10月18日 (月) 06時55分
源頼朝ゆかりの地名の駒繋神社の素晴らしい記事です!
投稿: tsuguo shikata | 2021年10月18日 (月) 06時55分
四方さん、コメントありがとうございましたm(__)m
地名の由来を調べるのも面白いですね!
投稿: しずか | 2021年10月20日 (水) 11時11分