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2021年12月

2021年12月26日 (日)

千葉次郎勝胤の墓

2011年、東京都足立区竹ノ塚の千葉次郎勝胤の墓を訪ねて歩いてみました。


先祖を遡ると、千葉氏3代当主・千葉常胤は、源頼朝の挙兵に協力し、鎌倉幕府創設に貢献した人物です。

以後千葉一族は下総国千葉荘を中心に勢力を伸ばしていましたが、享徳の乱をきっかけに、内部が対立し嫡流は事実上滅亡してしまいます。

一部が足立近郊に撤退したことから武蔵千葉が誕生。武蔵千葉は北条氏との結びつきを強めて足立区を中心に所領を拡大したといいます。

勝胤は千葉氏の23代当主に当たります。

 

竹ノ塚の駅を降りて、ガイドブックに書かれていた方角へかれこれ30分近く歩いて行き、やっとのことで民家の裏側に発見したと思ったのですが・・・

 

情報が古くて、移転していました

 

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移転先は、ここから250m先の長勝寺ということなので、早速移動開始!

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迷うことなく長勝寺に到着。

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な~んだ!これならもっと駅に近かったじゃない!という感じでした


長勝寺は、元和8年(1622)に、開基檀方・宮崎清左衛門吉重が先祖の主君・勝胤の菩提を弔うため建立したといわれています。


千葉次郎勝胤の墓 
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訪問する時は、最新の情報をGETしないといけませんね

 

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2021年12月15日 (水)

土佐坊昌俊ゆかりの冠者神社

京都の繁華街・四条通りの八坂神社御旅所の右側に、冠者殿社という小さな社があります。

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ここは、土佐坊昌俊を祀ったものといわれています。

土佐坊といえば、源頼朝の命で、源義経を襲撃した人物。

800pxmusashibo_benkei_brings_the_capture 土佐坊昌俊を源義経に引き渡す武蔵坊弁慶(『堀川夜討之図浮絵二枚続』より)


土佐坊は、熊野詣のために上京したと偽り、堀川邸を訪ねましたが、義経と弁慶に上洛の目的を怪しまれたため、義経を暗殺する意思はないという旨を誓紙に書いて神に捧げたといいます。

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2021年12月 3日 (金)

平業盛の塚・善光寺別院

神戸市の市営地下鉄「湊川公園」より12分、市バス「上沢4丁目」より6分、会下山公園の東側を北に進んでいくと善光寺別院があります。

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清盛の弟である教盛の三男・平業盛は、17歳でありながら武勇に優れていましたが、夢野の陣も一ノ谷の西城戸の大敗によって撤退を余儀なくされ、逃げ延びる途中、この地で源氏の泥屋四郎吉安と相対し、古井戸に落ち相手を組み伏せたが、弟の五郎重行が馳せてきて業盛を討ち取ったと謂われています。


寿永2年(1183年)7月、源義仲に追われ平家一門が都落ちすると、業盛も父や兄らともにこれに従った。

寿永3年(1184年)2月7日、一ノ谷の戦いにおいて、兄たちとともに山手の城戸口の防備にあたったが、源範頼の軍の手にかかり戦死。『平家物語』によると、業盛は常陸国の住人・土屋五郎重行と組んで討たれたとされている。

『源平盛衰記』にはその最期の様子が、以下の通りより詳しく描かれている。即ち、源義経の逆落としの奇襲によって大混乱に陥った平家軍は海上の船団に向かって敗走しはじめた。業盛は馬上、渚に佇んでいたところを泥屋四郎吉安に組みかかられ、双方馬から落ちて上になり、下になりながら組み合っているうちに古井戸に落ちてしまった。業盛が上になって四郎の首を搔こうとするが、そこへ泥屋五郎が助けに現れて、業盛に兜に取りついた。業盛は振りほどこうとして、五郎は兜をつかんだまま投げ飛ばされた。だが、業盛は手負いになっており、五郎は起き上がると業盛の首を取り、兄を井戸から引き上げた。このとき業盛は17歳で、その力の強さに人々は感心したという。

『吾妻鏡』によると、この戦いで、兄の通盛、教経も討ち死にしている。このうち教経については『玉葉』などに生存説があり、『平家物語』『源平盛衰記』などの軍記物語ではこの後の屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで大いに活躍している。

2月13日、一ノ谷の戦いで討たれた他の平家一門の首とともに京で獄門に処された。

境内には、平業盛の塚と墓碑があります。


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少年武者 平業盛


業盛は清盛の弟教盛の末子である。一ノ谷の戦に平家方は大敗離散し、当年十七歳の少年業盛は緋縅の鎧で連銭葦毛の馬に乗り唯一人行き先を打案しつつ駒を渚に立たせて居た。折柄源氏方泥屋四郎及び其弟五郎が追撃して来たので之を迎えて奮戦し遂に兄四郎と馬上に引き組んで地に落ちはげしく揉み合上に重なったまま古井戸に落ち込んだ。弟五郎は兄の危急を救わんとして業盛の甲の錏を力まかせに引き離そうと焦る。業盛は之を防ぎ○兄四郎を殺そうとして一生懸命である。業盛はまだ少年とは云へ其の大力は大人も及ばぬ位であったので彼が五郎を振り離そうとして首を振ったはづみに甲の緒が引切れ、五郎は業盛の甲を持ったまま二間程も振飛ばされた。併し五郎も去る者で之にひるまず直に立ち上がり業盛の首を打ち取った。少年業盛の剛勇と怪力に敵も味方も其死を惜まぬものはなかった。(案内板より)


境内はよく整備されています。

 

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※2013年の取材です。

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