かれこれ10年前のことになりますが、宮島観光の帰りに広島県呉市の音戸の瀬戸に立ち寄りました。
父・忠盛の死後、跡を継いで平家一門の棟梁となった平清盛は、瀬戸内海の実権を握り、摂津大輪田泊(神戸港)の修築に着手し、これにより、宋船の回航が可能となりました。
音戸の瀬戸も清盛が日宋貿易の航路のために開削したされる海峡で、呉市の休山半島と倉橋島の間にあり、最も狭いところでは幅90mほどしかありません。
清盛は、長寛2年(1164)年に着工。
厳島神社造営と同時に工事を進め。わずか10か月で完成させたといいます。
JR呉駅から観光タクシーで清盛ゆかりの地をまわってみました。
まず最初に向かったのが音戸大橋です。
幅90mの音戸の瀬戸に架かる主橋梁長172mの真紅の橋。1000トン級船舶の航行を可能とするため螺旋式とループ式の取付道路をもつ高架橋として、総工費3億6200万円をかけて1961(昭和36)年に完成し、本土と直結しました。
倉橋島側の橋脚近くに、清盛塚があります。

音戸の瀬戸開削は難工事で、人柱を立てようという話が持ち上がった時に、清盛は反対し、代わりに一切経を一字ずつ書いたの経石を海底に沈め、難工事を完成しました。

1184(元暦元)年に清盛の業績を称え、倉橋島に清盛塚を建立したといわれています。
周囲49mの石垣に囲まれた塚の中央には、供養のために立てられた石碑があります。
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