寶樹寺 常盤御前ゆかりの雪除けの松
京都の東福寺の駅を降りて、数分歩くと寶樹寺(ほうじゅじ)があります。
昔このあたりに一の橋という橋があったため、橋詰堂と呼ばれていたこの寺は、1706年僧聖空が再興し、名を寶樹寺と改めました。
本堂には、本尊の阿弥陀如来立像及び薬師如来座像を安置しています。
この薬師如来座像は、「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、常盤御前が、今若、乙若、牛若の3児の生長を祈願した像と伝えられています。
また、境内には、「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があります。
源義朝が平治の乱で敗死し、常盤御前が、京から大和へ逃れる際、この地の老松の下で、しばし雪の降るのを避けたと伝えられています。
その後、母が捕えられたことを知り、京に戻り、清盛に子供らの助命嘆願をしました。
寶樹寺
清涼山と号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。昔、この地の北辺に一ノ橋と呼ばれる橋が架かっていたことから、橋詰堂とも呼ばれていたと云う。
寛永3年(1706)僧聖空によって中興され、寺名を寶樹寺と改められ現在に至っている。
本堂には、本尊の阿弥陀如来立像と薬師如来坐像が安置されている。この薬師如来坐像は、俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、常盤御前が今若、乙若、牛若の三児の生長を祈願した像と伝えられている。
また境内には「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり、常盤御前が大和へ逃れる際、この地の老松の下で、しばし雪の降るのを避けたと伝えられている。(案内板より)
※非公開寺院のため、外側から撮影させていただきました。
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