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2022年4月

2022年4月24日 (日)

北陸の旅(2)木曽義仲、主従の像

実盛とわかった兼光は「あなむざんや」と言った。

実盛はこの時、前の主君である源義朝に拝領した兜を付け、現主君である平宗盛に許された出で立ちだったという。

実盛は源為義、源義朝に仕え、後に平維盛に仕えた武将である。

その昔、義仲が幼い頃、父である義賢を義経の父・義朝の長男・義平に殺され、義仲は母とともに畠山重能にとらわれ、そのことを不憫に思った重能は、実盛に助けを求めた。

実盛は義仲らの安全を図るたため、木曽の中原兼遠のもとに義仲親子を預けた。

義仲は、幼い頃、自分の命を助け、育ててくれた実盛の首を抱き、涙を流した。

 

首洗池の前には実盛の首を抱き嘆く木曽義仲、兜の前にひざまずく樋口次郎兼光、がっくりとうな垂れる手塚太郎光盛の像があります。


木曽義仲
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樋口兼光
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手塚光盛
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2022年4月10日 (日)

北陸の旅(1)篠原古戦場 実盛の首洗池

1183年、倶利伽羅峠の戦いで、平家軍を破った木曽義仲(源義仲)に対し、平家軍はここ篠原に陣を取り、義仲軍と戦いました。

しかし、義仲軍の前に平家軍は苦戦し、京に逃げ帰る兵まで出てくく事態に。

そんな中、斉藤別当実盛だけがこの地に残りました。

実盛は73歳、髪は白髪。老武将と侮られないように、白髪を黒く染め、義仲軍に立ち向かっていきました。


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*篠原古戦場はJR小松駅から車で10分くらいのところにあります。


赤地の錦の直垂に、萌黄縅の鎧を着た一騎の武者に手塚太郎光盛が「なのらせ給え」と声をかけたが名乗ろうとしない。ついには光盛がその武者の首を討ち取り、首を義仲に見せた。義仲は直感で実盛だと思い、実盛と親しかった樋口次郎兼光に確かめさせた。
実盛は日頃から「年老いていると侮られないように戦に赴く時は髪を黒く染めていこう。」と兼光に話していたという。
その首を目の前の池で洗ってみると黒髪は白髪となって現れた。

実盛の首を洗ったという「首洗池」が篠原古戦場の中にあります。

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2022年4月 8日 (金)

弁慶腰掛石

京都・大徳寺の南側にある長谷川米穀店の庭に、弁慶腰掛石という弁慶が腰掛けたという大きな石があります。

地上に出ている部分はその一部で、地中に埋まっている部分を含めると高さ1m、幅2mの巨石なのだそうです。

Photo_20220408231501
この石には、弁慶が座って刀を奪おうと待ち伏せしていた時に牛若丸を出会ったという伝説が残されています。
(源平史跡177選参照)

お店のご厚意で、わざわざお庭まで案内していただきました。


長谷川米穀店さま、その節はありがとうございましたm(__)m

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