北陸の旅(7)気多神社
伏木一宮にある気多神社
社伝によると、718年に行基が創建したという説、757~765年に能登の気多神社から勧請したという説があります。
また、1183年、木曽義仲が兵を率いて越後から越中国府に入り、兵を集めた際の兵火で本社を除き、末社などの堂舎が消失した。
1187年、義経主従が奥州から北陸道に入り、如意の渡しを過ぎて行った。
1570年、上杉謙信のへ兵火により当社が焼失した。
1654年、前田利常が当社を崇敬し、再興した。
と伝えられています。
義経主従が奥州に下る際、気多神社に参詣した時の痕跡とされる伝承があります。
本殿の床にある足跡のような模様が弁慶の足跡、柱のくぼみが弁慶のこぶし跡と伝えられています。
本殿には入ることが出来なかったので、足跡は確認できませんでしたが、柱のくぼみはわかりました。
気多神社の境内にある大伴神社。
昭和60年に大伴家持没後1200年を記念して建てられました。
家持は越中守として赴任した5年間に224首の歌を詠んだとされています。
境内に家持の歌碑がありました。
馬並めて いざうち行かな 渋谷の 清き磯みに 寄する波見に
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