源範頼が娘のために創建した子安神社
子安神社(浜松市子安町)は、源範頼が娘の出産の無事を祈って建てたといいます。
子安神社 本殿
子安神社 由緒
本社は当地の庄屋伊藤家の祖先が寛永12年(1635年)浅間神社の分霊を祭り、家の守護神としたことにはじまりますが、伝説には源範頼が娘の無事出産を願って創建した話が残されています。
戦前までは4月3、4日がお祭りで、安産祈願のお腹帯を借りた母親がお礼に赤い旗を奉納したものでした。今も秋のお祭りには、甘酒がふるまわれ、これをいただくとよくお乳が出ると言います。
生母は『尊卑分脈』によれば、遠江国池田宿の遊女とされている。池田宿は現在の静岡県磐田市(平成の大合併前は磐田郡豊田町)池田に比定され、範頼の生地とされる伊勢神宮内宮領・蒲御厨の東隣にあたる。現在では池田宿と蒲御厨は天竜川によって隔てられているが、平安時代には天竜川は池田宿の東側に流れており、池田宿は蒲御厨と地続きになっている天竜川西岸に設けられた東海道の宿場で京都と東国を結ぶ交通の要衝でもあった。このため、「遊女」とは称していても実際には単なる芸能民ではなく池田宿の有力者(長者)の娘で、父・義朝が池田宿との関係構築を目的として婚姻を結んだのではないかとみる説もある。
父・義朝が敗死した平治の乱では存在を確認されず、出生地の遠江国蒲御厨で密かに養われ、養父の藤原範季が東国の受領を歴任する応保元年(1161年)以降、範季の保護を受けたと考えられる。(Wikipediaより)
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