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2022年7月 9日 (土)

源範頼の末裔の屋敷

浜松市雄踏町に一般公開されている中村家住宅という重要文化財があります。

中村家の初代・中村正範(まさのり)は源範頼の末裔の武士で大和国広瀬郡中村郷に住んだ。1481年に14代正實(まさざね)が今川氏に招かれ、遠国江磐田郡に領地を賜り、1483年に宇布見に屋敷を構えた。


1574年には徳川家康の側室・お万の方が家康の第二子である於義丸(後の結城秀康)を当屋敷で出産し、その時の胞衣塚が庭にある。


以降、中村家は今切軍船兵糧奉行や代官を勤めてきた。


31代幸八は昭和24年から衆議院議員として長く政界で活躍した。(中村家パンフレット参照)

1524年2月8日、徳川家康の次男(幼名・於義丸、後の結城秀康)がこの中村家で生まれました。

庭には、秀康の胞衣塚が残されています。

母親は家康の側室・お万の方で、出産時の胞衣をこの胞衣塚に埋めたといいます。

また、胞衣塚上の梅は家康のお手植えと伝えられ、数代を経ているそうです。


1884年、越前松平一門家が塚の由来を記した胞衣塚碑を建立しました。



中村家住宅
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胞衣塚
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家康お手植えの梅
20060701_125895


胞衣塚がある中村家とは?

1568年、家康が遠江に入国した時、中村家18代正吉は船を出して迎えたり、徳川家に仕え、今切軍船兵糧奉行や代官を勤めていました。
こうした関係から家康の正室・築山御前を恐れたお万の方が、於義丸を浜松城でなく、ここ中村家の屋敷で出産しました。

中村家住宅は、1483年に建てられ、平成13年から解体修理、復元されて、現在一般公開されています。

長屋門
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天井
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かやぶき屋根
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主屋の内部
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コメント

[源範頼の末裔の屋敷]nの見事な記事です!

四方さん、いつもありがとうございますm(__)m

お邪魔します。
結城秀康がここで生まれたこと、初めて知りました。
歴史をたどると意外なことに出会い面白いですね。

賀茂左近様、コメントありがとうございました。

地元でもまだあまり知られていないかもしれません(^0^;)

おっしゃる通り、歴史を辿ると意外なことに出会いますね。

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