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2022年7月 1日 (金)

浜松の源範頼別邸御茶屋跡

寿永2年(1183)頃の蒲の冠者・源範頼は、佐鳴湖北岸に別邸を設け、茶の湯などの清遊をしたことから、「御茶屋」という名がついていました。

春の佐鳴湖
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佐鳴湖に注ぐ新川に架かる「御茶屋橋」から100mほどのところ富塚町安座の民家の庭先に、「史蹟 源範頼別邸御茶屋跡」の案内板、石柱、カバザクラがあります。

御茶屋橋
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数年前に取材させていただきました。

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史蹟 源範頼別邸御茶屋跡
平治元年(1159年)、平治の乱に敗れた源義朝は、再起を期し尾張国野間の長田忠致を頼り逃れて来たが、忠致に誅殺される。
義朝の六男範頼は久寿元年(1153年)に生まれ、遠江国蒲御厨蒲神明宮の神官藤原範季の許で秘かに養育されていたが、やがて元服し、蒲冠者源範頼と名乗る。寿永年間範頼はこの地に別邸を設け、南の佐鳴湖より涼風を迎えお茶の湯をたてて楽しんだ故事からその名を「御茶屋」と呼んだ。
範頼はやがて挙兵した兄頼朝と対面し、平家追討に戦功を挙げたが、平家滅亡後は次第に頼朝の疑心が深まり、建久4年(1193年)ついに伊豆修善寺にて幽閉される悲運となった

(正面向かって左面)
〇〇記念大正13年10月富塚村安座 と刻印あり。
浜松観光ボランティアガイドの会

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しかし、本当の別邸の跡は、こちらのお宅の筋向いにある梅の木の辺りだと民家の奥さんに教えていただきました。

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コメント

「浜松の源範頼別邸御茶屋跡」はしずかさんにより一度は見た覚えがありますす。

四方さん達と巡った浜松の史跡!

懐かしい思い出ですね。

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