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2022年9月12日 (月)

源朝長が結ぶ三川と青墓

源朝長の亡骸は、丁重に埋葬されたものの、やがて平氏の知るところとなり、墓は暴かれ朝長の首は京の六条河原に父の義朝とともに晒されました。

朝長の首は守役だった大谷忠太が奪い返し、遠江国豊田郡友永村(袋井市三川地区の友永)に埋葬しました。

そのため朝長の胴の墓は岐阜県大垣市、首の墓は静岡県袋井市の二つあります。

江戸時代の俳人松尾芭蕉は青墓の朝長の墓所を訪れて「苔埋む蔦のうつつの念仏哉」と詠んでいます。

また、修羅能の演目に朝長の死を扱った『朝長』があります。

朝長(『能楽図絵』)
Photo_20220912084301

能「朝長」についてはこちらをご覧ください。

 

朝長の首と胴体が離れて葬られていることで、袋井の三川小と岐阜の青墓小で平成5年より交流活動が行われているそうです。

 

 源平合戦で命を落とした源氏の若武者、源朝長(1143~1160年)の墓がある袋井市友永の積雲院を28日、岐阜県大垣市立青墓小の6年生75人が訪れた。地元の袋井市立三川小の6年生41人が出迎え、朝長を祭る五輪塔にともに手を合わせた。
 平治の乱に敗れ京都を逃れた朝長は手傷を負って死亡。青墓小近くに葬られたが、後に首だけが家臣の手で同院に運ばれた。二つの墓が縁で両地区の住民が交流。93年から両校の相互訪問が続いている。
 郷土史家の清水忠雄さん(85)=袋井市在住=が「命日の12月28日には毎年、まわり念仏と呼ばれる祭礼が行われている」などと説明。両校児童や付き添いの保護者らが熱心に聴き入った。
 子供たちは墓参の後、周辺の製茶工場やメロン栽培農家などを訪ね交流を深めた。

(5月29日11時1分配信 毎日新聞より)

 

袋井三川小学校と大垣青墓小学校との交流について 

青墓小との交流 | 周南たちばな学園袋井市立三川小学校 (fukuroi.ed.jp)

 

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コメント

「源朝長が結ぶ三川と青墓」の素晴らしい記事です。

四方さん、コメントありがとうございました。m(__)m

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