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2022年9月 3日 (土)

昔話に語り継がれる源朝長と頼朝の絆

 静岡県磐田市、袋井市、森町に伝わる昔話「中遠昔話」の中にも源朝長の墓のことが登場しています。

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1195年の10月のこと。鎌倉に幕府をつくった源頼朝は、諸国を統一したあと、東海道を通って京都へ上がることになりました。

 その頃の幕府の役人が記した道中日誌に、四日間の空白があります。この間に頼朝は、兄の朝長の墓を供養(放生会)したと伝えられています。
 

 朝長の墓があるのが、今の袋井市(友永)の積雲院門前。京都に上がる頼朝は、かつて父や兄と共に東国へ逃げたときの苦しさを思い出し、その途中で命を落とした兄の墓へ詣でて供養したのです。
 

 供養のための放生会は、近くの池のほとりで大々的に行われ、黄金の札をつけた数多くの鶴が放たれました。以来、人々は、この池を鶴ヶ池と呼ぶようになったということです。

 鶴の寿命は千年。江戸時代、羽に札をつけた鶴を捕まえた人が、「おそらくは、頼朝が放生会で放った鶴だろう。」と言ったという話が、幕末期の随筆に書かれています。

(「磐田昔ばなし」より)

 

朝長(『能楽図絵』)
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鶴ヶ池についてはこちらをご覧ください。コチラ

 

また鶴ヶ池のすぐ近くには日本の秘境100選の一つであるトンボの楽園・桶ヶ谷沼があります。

 

桶ヶ谷沼についてはこちらをご覧ください。コチラ

 

 

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