亀岡の那須与一堂(1)
那須与一堂公式HPによると、
亀岡市下矢田町の那須与一堂は、那須与一ゆかりの地として、地域の人々に親しまれてきたお堂です。
寿永3年(1184)、源平の合戦の一ノ谷の戦いに向かう源義経軍に従軍していた那須与一が、山城と丹波の境あたりで急に原因不明の病になり身体が動けなくなりました。
法楽寺の阿弥陀如来の噂を聞いてお参りしたところ、たちまち平癒し、その御利益から阿弥陀如来を深く信仰しました。
阿弥陀如来の霊符を身につけて出陣すると毎戦軍功をあげ、中でも屋島の戦いでの扇の的を射抜く武功を挙げることができました。
その後、武士を捨て法然の弟子となり、法楽寺を再興したといわれています。
社伝によると、江戸時代の享保元年(1716)に火災により焼失。そこへ住民たちが駆けつけたところ、焼け落ちたお堂に、まばゆい金色に輝く阿弥陀如来像が立っていたと伝わります。
その後、阿弥陀如来像は一旦近くの寺院に預けられていましたが、明治26年(1893)に地元の人々の手によって現在の場所に安置され、
那須与一の伝承から『那須与一堂』と名付けられ、現代に至っているそうです。
周りは田んぼに囲まれています。
この細い道を抜けていくと、那須与一堂の案内板があります。
また、那須与市堂の前身である法楽寺は、安倍晴明が建立した寺院と伝わっているとのこと。
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