源頼朝ゆかりの滝山寺(1)三門
岡崎市滝町にある滝山寺は1300年前に開かれた古刹で、天武天皇の勅願により、役行者が青木川で拾った金色の薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。
山号を「吉祥陀羅尼山」、院号を「薬樹王院」といい、熱田大宮司家、源頼朝の鎌倉幕府、歴代の足利氏、徳川家の恩恵を受けてきました。
岡崎市最古の和様建築物である三門は、文永4年(1267)、飛騨権守藤原光延が建立したもので、本堂ともに国の重要文化財です。
三間一戸、入母屋造、こけら葺の楼門
瀧山寺のHPによると、
門の両側に控える仁王像は運慶仏師の作だといわれており、正面に掲げられた「瀧山寺」の扁額は日本三蹟の一人である藤原行成の八代の孫、行純の子で世尊流の書家の作である。
また、三門の大屋根にある尾垂木が一カ所だけ逆さになっており、三門の完成後ある老婆が「内匠の建てしもこの違いがあるかな」とつぶやいたのを聞き、深く恥じて三門の階上よりノミをくわえて飛び降り、喉元を突いて自害した。その場所に一本の椿が生え、年々美しい花が咲いたが実を結ぶことはなかったと伝えられる。村人はこの椿を「内匠霊花」と呼び、ここに「飛騨権守藤原光延之塚」を築いた。現在三門の手前(西北)にあるのがそれである。
この三門は、本堂が建つ伽藍から850m離れた滝町の集落入口に位置しています。
ここから本堂まで滝のせせらぎを聞きながら歩いて行きます。
かつて岡崎は、明治時代に発明された紡績技術「ガラ紡績」の盛んなところでした。
この辺りは三河木綿の産地であり原料が手に入りやすく、乙川、男川、青木川など大型水車を動かすのに必要な水量を持った河川が多かったことがその理由だといわれています。
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