源頼朝ゆかりの滝山寺(2)本堂
滝山寺の三門から本堂へと歩いて行きます。
10分ほどで到着。
本堂へすぐにお参りする場合は、「滝山寺下」の停留所で下車します。
貞応元年(1222年)三河の地頭で清和源氏の流れをくむ足利義氏が額田郡碧海の庄、吉良の東条・西条の住人に命じて五間四方の本堂を建設。
現在の本堂は、明治43年頃に解体・大修理をしたもの。
寺宝の聖観音・梵天・帝釈天三尊像は、鎌倉時代の第1の仏師運慶・湛慶父子の作として、昭和56年に国の重要文化財に指定されました。
聖観音像は頼朝公の等身大で、仏身に御髪と御歯が納められています。
岡崎市最古の和様建築物である三門、本堂ともに国の重要文化財です。
国指定重要文化財
瀧山寺
建造物 瀧山寺三門 一棟 明治34年3月27日指定
建造物 瀧山寺本堂 一棟 明治37年2月8日指定
彫 刻 木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像 三軀
昭和56年6月9日指定
瀧山寺は、「瀧山寺縁起」によると役小角の草創といい、保安年中(1120~23)に比叡山の僧仏泉永救が再興した天台宗の寺院である。
以後本寺は、 古代末期から奈良時代にかけて藤原氏系熱田大神宮司家・三河国守護足利氏とその被官衆といった中央権力と密接する有力な檀家を持つことによって経済基盤を固め、隆盛を誇った。近世では正保2年(1645)将軍家光の命により本堂の隅に東照宮が建立され、幕府の保護のもと繁栄を続けた。
三門(仁王門)は、文永4年(1267)の建立で、和様建築の伝統を保つ本市現存最古の建築物である。
本堂は、4度目の造営と推定され、様式的に禅宗様の影響を強く受けた南北朝期の建築である。
観音菩薩・梵天・帝釈天立像は、源頼朝の従兄にあたる僧寛伝が頼朝追善のため本寺域内に建立した惣持禅院に安置したもので、仏師運慶とその一門による制作であるという。
他に県及び市指定文化財数16件
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