関取場
鎌倉の荏柄天神社から西に歩いて2分ほどのところに、関取場の碑があります。
昔はこの場所を「関取場」と呼んでいました。
1548年、後北条氏は関所をこの場所に儲け、通行料を取り、荏柄天神社の運営費に充てていました。
この掟書の文書はが荏柄天神社に保管されているとのことです。
後北条氏
戦国時代,関東に広く勢力をもった戦国大名
始祖伊勢長氏の出身は明らかではない。駿河今川氏の食客であったが,15世紀末伊豆韮山 (にらやま) から相模に進出,小田原を本拠とし長氏の子氏綱から北条氏を称した。孫氏康は支配圏を広げ関東南半を制圧し,上杉謙信・武田信玄と覇を競う戦国大名の雄となった。1590年豊臣秀吉の小田原征討で滅びるまで,5代にわたり領国統治を巧みに行い栄えた。鎌倉時代の執権北条氏と区別するため,俗に後北条氏と称す。
(コトバンクより)
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