北条氏供養の寺「宝戒寺」
鎌倉市小町にある宝戒寺は、北条義時以来の歴代の北条得宗家の屋敷地跡と伝わっています。
門前には、それを示す碑が立っています。
義時は、幕府創設以来の重鎮で侍所別当の地位にあった和田義盛を挑発して反乱に追い込み、建保元年(1213年)2月、和田合戦において和田一族を滅ぼしました。
義時は義盛に代わって侍所別当となり、政所別当と兼務するようにり、「執権」を名乗ることにしました。
北条執権邸旧蹟碑
往時此ノ地ニ北條氏ノ小町亭在リ
義時以後累代ノ執權概ネ皆之ニ住セリ
彼ノ相模入道ガ朝暮ニ宴筵ヲ張リ
時ニ田樂法師ニ對シ
列坐ノ宗族巨室ト倶ニ
直垂大口ヲ争ヒ解キテ
纏頭ノ山ヲ築ケリト言フモ此ノ亭ナリ
元弘三年新田義貞亂入ノ際
灰燼ニ歸ス
今ノ寶戒寺ハ建武二年
足利尊氏ガ高時一族ノ怨魂弔祭ノ為
北條氏ノ菩提寺東勝寺ヲ此ノ亭ノ故址ニ再興シ
以テ其ノ號ヲ改メシモノナリ
山号は金龍山。詳名を金龍山釈満院 円頓宝戒寺と称し、本尊は地蔵菩薩。
萩の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれています。
1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため、後醍醐天皇の命をうけた足利尊氏によって、当時小町邸と呼ばれ北条氏歴代執権屋敷跡であるこの地に建立されました。
また、戒壇院が置かれ国宝的人材を養成する道場として位置付けられていました。
ご本尊は、子育て経読み延命地蔵様で鎌倉二十四地蔵尊の第一番とされています。
また、鎌倉三十三観音第二番の仏母准胝観音、鎌倉・江ノ島七福神の毘沙門天などが祀られています。
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権、北条孝時をはじめ北条一族870余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、9月には白いハギで埋め尽くされる「萩の寺」として有名です。(駒札より)
本堂
聖德太子堂
聖德太子をお祀りしています。
聖德太子は、仏教の保護に尽力され、また優れた工芸技能者の育成を図ったとことにちなみ、諸職人の守り神として信仰されています。
德崇大権現堂
鎌倉幕府執権・北条高時を德崇大権現(とくそうだいごんげん)としてお祀りしています。
大聖歓喜天堂
秘仏である大聖歓喜双身天王(だいしょうかんぎそうじんてんのう)をお祀りしています。
鐘楼
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