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2024年5月

2024年5月23日 (木)

鎌倉最古の寺「杉本寺」

杉本寺は、二階堂にある鎌倉最古の寺とされ、参道途中に苔むした石段があることでも知られています。

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731年(天平3年)東国の旅をしていた行基が、ここが観音様を祀る場所にふさわしいと考え、自ら彫った十一面観音を安置したことから始まり、734年(天平6年)、光明皇后が観音菩薩のお告げにより東国の治安の安定を願い、右大臣藤原房前と行基に本堂を建立させたと伝わっています。

仁寿元年(851年)に円仁(慈覚大師)が参詣し、十一面観音菩薩を自ら刻み安置し、寛和2年(986年)花山法皇の命により源信(恵心僧都)が十一面観音菩薩を自ら刻み安置し、その後花山法皇が巡礼したと伝わっています。

文治5年(1189年)火災で堂宇が焼失した際に御本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けられたので、それより「杉の本の観音」と呼ばれたという言い伝えがあります。

『吾妻鏡』には建久2年(1191年)源頼朝が当寺を参拝し、修理料を寄進したとあり、その時に、御前立の十一面観音菩薩像を寄進したとされます。


ここから長い階段を上っていきます。


仁王門
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茅葺屋根の山門を守る仁王像は運慶作と伝えられています。

大蔵弁財天
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財宝、利得の神、弁天尊をお祀りし、古来より弁天尊をお参りすると大きな蔵が建つ程富に恵まれるという言い伝えがあるそう。

苔むした石段
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※ここは通行禁止です。観音堂へはこの左側の階段を上っていきます。

茅葺きの観音堂(本堂)
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本堂正面には、源頼朝寄進の前立本尊十一面観音様が安置されています。

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杉本寺(すぎもとでら)
鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(八世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。
行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。
その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。本尊の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされています。
坂東三十三観音霊場の第一番札所で、8月10日の縁日は参拝者でにぎわいます。
  ● 宗  派:天台宗
  ● 山号寺号:大蔵山杉本寺(だいぞうざん)
  ● 建  立:8世紀
  ● 開  山:行基
  ● 開  基:光明皇后

観音堂から苔むした石段を見下ろしてみましょう。

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権現堂(熊野大権現、白山大権現)
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もとは白山・熊野三山に祀られる熊野神が勧請されたもの

地蔵尊
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五輪塔群
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鐘楼
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2024年5月12日 (日)

鎌倉の「下馬」の碑

鎌倉駅から由比ガ浜に向かう若宮大路沿いのガソリンスタンドの脇に下馬」の碑が建っています。

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往昔鶴岡社參ノ武人ハ此ノ邊ニテ馬ヨリ下リ
徒歩ニテ詣デタルニ因リ下馬ノ稱アリ
今ニ地名トシテ存ス
此ノ地點ハ鎌倉ノ要路ニ位セルヲ以テ
屡々戦場ノ巷トナリシコト古書ニ見ユ
尚ホ文永八年(皇紀一九三一)九月十二日
日蓮聖人名越ノ小庵ヨリ龍口ノ刑場ニ送ラレタマフ途上
鶴岡ニ向ヒ
八幡大菩薩神トシテ法門ノタメ霊験ヲ顯ハシタマヘト
大音聲ニテ祈請アリシハ
下馬橋附近ナルト傳ヘラル


鎌倉時代、鶴岡八幡宮に参拝する時は、いかに身分の高い武士であっても、ここで馬を下りることになっていました。

この付近は、若宮大路を横切る時も、馬を下りて鶴岡八幡宮に礼拝しないと通れなかったことから、「下馬」という地名がつけられたのだといわれます。


下馬には、昔は上・中・下の下馬があり、 ここは下の下馬にあたるようです。

江戸時代、 下の下馬には駒止めの柵があり、 八幡宮への馬の乗入れを禁じていたそうです。

明治22年(1889)、横須賀線が開通するまで、段葛はこの下の下馬の四つ辻まで続いており二の鳥居も、この付近にあったともいわれています。


また、幕末のころ、 この付近で乗馬した外国人が浪人に殺傷されるという事件も起きました。

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横浜駐留中のイギリス陸軍第20連隊第2大隊所属のジョージ・ウォルター・ボールドゥィン少佐(34歳)とロバート・ニコラス・バード中尉(23歳)は事件当日、休暇を取って騎馬で江ノ島~鎌倉を巡遊していた。

2人が大仏の見物を終えて金沢方面に向かう途中、昼七つ時(午後3~4時)頃、若宮大路近くの路上(現在の御成町4丁目付近)で2人の武士に斬りつけられた。

この襲撃によってボールドゥィン少佐は四肢に深傷を受け、特に脇腹から背中にかけての傷が致命傷となり即死。右腕と左膝、首などに重傷を負ったバード中尉は現場近くの民家に運ばれて地元の医師による治療を受けたものの、その夜暮れ四つ(午後10時)頃死亡した。(Wikipediaより)

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2024年5月 4日 (土)

琵琶橋と琵琶小路

鎌倉十橋の一つ、琵琶橋を訪ねてみました。

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鎌倉十橋(かまくらじっきょう)とは、鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる十の橋のことです。

江戸時代に『新編鎌倉志』で選定されました。

現在は橋としては残っておらず、碑だけが残っているところもあります。

鎌倉十橋とされたのは以下の10の橋である。

歌の橋
夷堂橋
勝ノ橋
裁許橋
逆川橋
十王堂橋
筋違橋
針磨橋
琵琶橋
乱橋

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琵琶橋と琵琶小路
「日本の道百選」の一つ「琵琶小路(別称若宮大路)」。ここにはかつて擬宝珠のついた朱塗りであった鎌倉十橋の一つである「琵琶橋」が架けられている。
これらの名の由来は、昔この辺り弁財天が祀られ、その祠をさけるように道が弯曲し、その形が「琵琶」の胴の曲線のようだったためであると伝えられている。
その後、源頼朝が妻政子の安産祈願のために鶴岡八幡宮に祠を移し現在のような一直線の道に直させた。古来より女性に大変縁起深いとされており、転じて縁結び通りとされることがある。

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若宮大路の二の鳥居から一の鳥居までの間は琵琶小路とよばれ、橋の名はこれにちなんで名付けられたという。
昭和30年頃までは擬宝珠のついた朱塗りの橋であった。琵琶小路の由来は道筋に弁財天をまつる祠がありこのため道が曲がっていたが、その曲がり具合が琵琶の曲線に似ていたことによるとする説と弁財天が琵琶を抱いていたからとする説とがある。なお、祠は鶴岡八幡宮の池の傍らに移され、道をまっすぐにしたと伝わる。琵琶橋は若宮大路を横切って滑川に注ぐ佐助川に架かり、鶴岡八幡宮参道を維持する上で古来から重要な箇所である。
また和田合戦の舞台の一つになったという伝承から軍略上の拠点箇所でもあったと考えられる。

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