琵琶橋と琵琶小路
鎌倉十橋の一つ、琵琶橋を訪ねてみました。
鎌倉十橋(かまくらじっきょう)とは、鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説の伝わる十の橋のことです。
江戸時代に『新編鎌倉志』で選定されました。
現在は橋としては残っておらず、碑だけが残っているところもあります。
鎌倉十橋とされたのは以下の10の橋である。
歌の橋
夷堂橋
勝ノ橋
裁許橋
逆川橋
十王堂橋
筋違橋
針磨橋
琵琶橋
乱橋
琵琶橋と琵琶小路
「日本の道百選」の一つ「琵琶小路(別称若宮大路)」。ここにはかつて擬宝珠のついた朱塗りであった鎌倉十橋の一つである「琵琶橋」が架けられている。
これらの名の由来は、昔この辺り弁財天が祀られ、その祠をさけるように道が弯曲し、その形が「琵琶」の胴の曲線のようだったためであると伝えられている。
その後、源頼朝が妻政子の安産祈願のために鶴岡八幡宮に祠を移し現在のような一直線の道に直させた。古来より女性に大変縁起深いとされており、転じて縁結び通りとされることがある。
若宮大路の二の鳥居から一の鳥居までの間は琵琶小路とよばれ、橋の名はこれにちなんで名付けられたという。
昭和30年頃までは擬宝珠のついた朱塗りの橋であった。琵琶小路の由来は道筋に弁財天をまつる祠がありこのため道が曲がっていたが、その曲がり具合が琵琶の曲線に似ていたことによるとする説と弁財天が琵琶を抱いていたからとする説とがある。なお、祠は鶴岡八幡宮の池の傍らに移され、道をまっすぐにしたと伝わる。琵琶橋は若宮大路を横切って滑川に注ぐ佐助川に架かり、鶴岡八幡宮参道を維持する上で古来から重要な箇所である。
また和田合戦の舞台の一つになったという伝承から軍略上の拠点箇所でもあったと考えられる。
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琵琶橋びわばしを、琵琶湖びあこにかかってる橋と
はやとちりして記事よんでいました。
鎌倉にある橋のことでした。
投稿: ラメール | 2024年5月12日 (日) 21時14分
こんばんは😊コメントありがとうございましたm(__)m
そうなんです。
鎌倉にある橋で、一昨年の鎌倉の取材の際に行って来ました。
その年は、鎌倉殿を中心に回りましたので、ストックが結構あります😄
投稿: ラメールさんへ | 2024年5月12日 (日) 22時29分