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2024年6月

2024年6月22日 (土)

永福寺跡(2) 薬師堂~遣水

鎌倉の永福寺跡薬師堂
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二階堂の北側に建つ脇堂であり、正面が16.7m、奥行が約12.7mの本瓦葺で、南側の阿弥陀堂とほぼ同じ大きさの堂です。創建期永福寺の特徴をなす、極めて珍しい木製基壇(正面約19.2m、奥行約15.3m、推定の高さ54㎝)の上に建てられていました。周囲に縁と雨落ち溝、正面には階段が確認されています。

北翼廊・北中門
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北翼廊は薬師堂の北側より北に約13.7m、ここで東に折れて東西に約37.3mの規模で池に臨む廊下です。板敷で東端を釣殿にあてていたと考えられます。北中門は北翼廊の北面中央に開かれた間口約4.5m、奥行3.7mの格式の高い四脚門(しきゃくもん)です。

釣殿
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池に突き出す両翼廊の先端には釣殿が設けられていたと考えられます。釣殿は邸宅内の遊宴のための建物で、寺院建築に付随するのは大変珍しく、『吾妻鏡』に2代将軍源頼家が酒宴を釣殿で行ったと書かれています。北翼廊の釣殿では礎石や柱が発掘され、建て替えや火災の痕跡が確認されました。

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遣水
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北翼廊の北側に、谷間の流水を引き込んでつくられていました。発見されたのは素掘りの溝で、長さ約35m、幅は広い所で約3m、狭い所で約1.8m、深さは約20㎝程でした。使われていた多くの景石は抜き取られていました。当時の京都貴族の邸宅内の庭園では、趣を凝らして造られた鑓水が重要な景観となっていました。

※遣水部分の整備では盛土をした上に新たに庭の景色を再現しています。

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堂前の池
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2024年6月14日 (金)

永福寺跡(1)南翼廊・南中門~北複廊

鎌倉市二階堂にある永福寺跡(ようふくじあと)は、源義経藤原泰衡をはじめとする数万の冥福を祈るため、鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した永福寺の跡です。

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造立責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されています。

建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われました。

当時は、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂が並び建つ壮麗な光景であったそうです。

鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つで、二階建ての仏堂であった事から二階堂とも称されました。

応永12年(1405年)の火災ののち廃絶。

現在、基壇が整備され、寺跡は国の史跡に指定されています。

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  国指定史跡 永福寺跡
 永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)に、工事に着手しました。
 鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を廃した庭園の跡を確認しました。堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。
 鎌倉市では昭和42年度から土地の買収を行っており、現在史跡公園として整備事業を進めています。

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南翼廊(みなみよくろう)・南中門
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南翼廊は阿弥陀堂の南側より南に約13.4m、
ここで東に折れて東西に約27.7mの規模で発見されました。
板敷で東端が池中に延び、その先に釣殿があったと推測されます。
南中門は南翼廊の南面中央に開かれた間口約4.8m、
奥行き約3.6mの格式の高い四脚門(しきゃくもん)です。

中島
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 大きく南側に広がる池の中程にあり、様々な岩を組み合わせて島を築いています。
島の大きさは、南北に長さ10m、東西に幅5m、高さは1.2mあります
*整備では水を張った池中の島として表示できないので埋め戻して保護しています。

阿弥陀堂
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 二階堂の南側に立つ脇堂であり、正面が16.7m、奥行きが役12.7mの本瓦葺で、北側の薬師堂とほぼ同じ大きさのお堂です。創建期永福寺の特徴をなす極めて珍しい木製基壇(正面19.2m、奥行き15.3m、推定の高さ54cmm)の上に建てられていました。周囲に緑と雨落り溝、正面には階段が確認されています。

南複廊(みなみふくろう)
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 二階堂と阿弥陀堂をつなぐ幅約6.6mの長さ約12.7mの建物で、
二棟廊ともよばれます。前面が廊、奥が部屋になっていました。


北複廊(きたふくろう)
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 二階堂と薬師堂をつなぐ幅約6.6mの長さ約12.3mの建物で、二棟廊ともよばれます。前面が廊、奥が部屋になっていました。

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2024年6月 4日 (火)

源氏山公園の源頼朝公銅像碑

源氏山は源義家が後三年の役で奥州に向かう際、山頂に源氏の白旗を立てて戦勝祈願したところです。

源頼朝もこれにならい、平家討伐の際、源氏山の山頂で戦勝を祈願したといいます。

頼朝の鎌倉入り800年を記念して約2mの頼朝像が造られました。

源氏山公園の中央には芝生が広がり、家族連れの憩いの場となっています。

源頼朝公銅像碑
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この銅像は治承4年(1180年)10月源頼朝公が鎌倉入りして以来八百年目に当る年を記念し よりよい鎌倉づくりに市民が心を通い合わせることを誓い合った証として有志の方々から寄せられた尊い浄財によって建立されたものです
この像が中世日本の政治経済文化の中心として栄えた鎌倉の歴史と郷土鎌倉の象徴として永遠に守り継がれることを願うものです

昭和55年10月
源頼朝公銅像建立実行委員会


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私は紫陽花の咲く季節に行きました。

 

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