永福寺跡(1)南翼廊・南中門~北複廊
鎌倉市二階堂にある永福寺跡(ようふくじあと)は、源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の冥福を祈るため、鎌倉時代初期に源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した永福寺の跡です。
造立責任者は工藤行政、建立には畠山重忠ら関東の御家人の助力があった事が『吾妻鏡』に記載されています。
建久3年(1192年)11月25日に本堂が完成し、落慶供養が行われました。
当時は、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂が並び建つ壮麗な光景であったそうです。
鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社の一つで、二階建ての仏堂であった事から二階堂とも称されました。
応永12年(1405年)の火災ののち廃絶。
現在、基壇が整備され、寺跡は国の史跡に指定されています。
国指定史跡 永福寺跡
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)に、工事に着手しました。
鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を廃した庭園の跡を確認しました。堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。
鎌倉市では昭和42年度から土地の買収を行っており、現在史跡公園として整備事業を進めています。
南翼廊(みなみよくろう)・南中門
南翼廊は阿弥陀堂の南側より南に約13.4m、
ここで東に折れて東西に約27.7mの規模で発見されました。
板敷で東端が池中に延び、その先に釣殿があったと推測されます。
南中門は南翼廊の南面中央に開かれた間口約4.8m、
奥行き約3.6mの格式の高い四脚門(しきゃくもん)です。
中島
大きく南側に広がる池の中程にあり、様々な岩を組み合わせて島を築いています。
島の大きさは、南北に長さ10m、東西に幅5m、高さは1.2mあります
*整備では水を張った池中の島として表示できないので埋め戻して保護しています。
阿弥陀堂
二階堂の南側に立つ脇堂であり、正面が16.7m、奥行きが役12.7mの本瓦葺で、北側の薬師堂とほぼ同じ大きさのお堂です。創建期永福寺の特徴をなす極めて珍しい木製基壇(正面19.2m、奥行き15.3m、推定の高さ54cmm)の上に建てられていました。周囲に緑と雨落り溝、正面には階段が確認されています。
南複廊(みなみふくろう)
二階堂と阿弥陀堂をつなぐ幅約6.6mの長さ約12.7mの建物で、
二棟廊ともよばれます。前面が廊、奥が部屋になっていました。
北複廊(きたふくろう)
二階堂と薬師堂をつなぐ幅約6.6mの長さ約12.3mの建物で、二棟廊ともよばれます。前面が廊、奥が部屋になっていました。
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