鎌倉坂ノ下の御霊神社
鎌倉坂下の御霊神社は、平安時代後期に建立されたと推定されています。
もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになりました。
その後、後三年の役で活躍した梶原景時の先祖・鎌倉権五郎景政が祭られ、祭神の名から権五郎神社と呼ばれました。
景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードでは、左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したといわれています。その伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされています。(Wikipediaより)
面をかぶった男達が練り歩く9月18日の例祭の面掛行列(めんかけぎょうれつ)は、源頼朝が由来との説があります。
鳥居の目の前を江ノ電が通ることでも有名な神社で、地元では「権五郎さま」と呼び親しまれています。
2021年5月から御霊神社の境内は、撮影禁止となっているそうなので、鳥居前からの撮影のみです。
神社の境内を撮影禁止とは初めて見ました。
何かモラルに反することをした人がいたのでしょうか。
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