寒川を巡る旅(5)寒川神社
寒川町に鎮座する寒川神社は、年間約200万人に及ぶ参拝者が訪れるという関東地方における著名な神社の一つであり、初詣の参拝者数は神奈川県内の神社では鎌倉市の鶴岡八幡宮に次いで2番目に多いそうです。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされ、源頼家が誕生した際には、源頼朝より神馬の奉納等がありました。
以後も北条氏から崇敬され、 戦国時代以降、相模国を支配した後北条氏や徳川家康より社領を認められました。
また、武田信玄が小田原攻めの途中に当社を参拝して戦勝を祈願し、自身の纏っていた兜と太刀を奉納しています。
神池橋、三の鳥居
寒川神社
御祭神 寒川比古命 ( さむかわひこのみこと )・寒川比女命 ( さむかわひめのみこと )
二柱の神を奉称して寒川大明神と申します。
例祭日 九月二十日(九月十九日 例祭宵宮祭・流鏑馬神事)
由 緒
当神社は総国風土記によりますと、雄略天皇(457~479)の御代に奉幣(天皇より神社に献上
品がされること)の記録があり、神亀四年(727)に社殿建立とも伝わり、1600年以上の歴史
を有しています。
以後、延暦十六年(797)桓武天皇を始めとして歴代奉幣の記録があり、承和十三年(846)に
神階従五位下を始めとする神階授与もなされています。また醍醐天皇の御代に制定されまし
た延喜式神名帳によれば相模國十三社の内、名神大社とされており、関東地方の信仰の中心
をなしていました。
中世においては源頼朝、小田原北条氏累代による社殿造営や社領寄進がなされており、武田
信玄からは武運長久を祈願して鉄錆地六十二間筋兜(神奈川県指定重要文化財)が奉納される
など特に崇敬の念は篤く、徳川家代々においても社殿再建、社領寄進など古来より武家から
の崇敬は極めて篤いものがありました。
明治期になりますと、明治四年五月に制定されました官国弊社制度によって、例祭において
国費から弊帛料が奉納される「国幣中社」に列せられました。(駒札より一部抜粋)
神門
御社殿
客殿
南門
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