北条義時の孫・長時が創建した浄光明寺
鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある浄光明寺は、北条義時の孫であり、6代執権を務めた北条長時が創建した寺院です。
鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂(かめがやつさか)と化粧坂(けわいざか)にはさまれた扇ヶ谷の支谷、泉ヶ谷に位置し、鎌倉の交通上、防御上、重要な地域にある寺院といえます。
寺伝によれば、建長3年(1251年)頃、第5代執権北条時頼、第6代執権北条長時が開基となって創建したもので、開山は真阿(真聖国師)でした。
それ以前、源頼朝の命により文覚の建てた草庵があったという説もあるそう。
永仁4年(1296年)の開山(真阿)譲状には北条時頼と長時が開基であると記されているそうです。
長時は鎌倉幕府6代執権で、文永元年(1264年)7月3日、病により執権職を辞任して出家、叔父の北条政村が7代執権となりました。
同年8月21日、浄光明寺にて35歳で死去。浄光明寺に葬られ、以後、この寺は長時に始まる赤橋流北条氏の菩提寺となりました。
当寺には長時の木像と位牌が今も現存しているそうです。
鎌倉時代は北条氏の菩提所であり、室町時代には鎌倉公方の菩提寺となりました。
山門を入ると客殿、庫裏、不動堂、その裏手の一段高くなった敷地に阿弥陀堂と収蔵庫、裏山にはやぐらがあり、網引地蔵と呼ばれる石造地蔵菩薩坐像が安置されています。
阿弥陀堂
京都の泉涌寺の観音堂に安置に安置されている観音像は、玄宗皇帝が亡き妃の楊貴妃の冥福を祈って造らせたものと伝えられ、
浄光明寺の楊貴妃観音像は、その泉涌寺から贈られたものだそうです。
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