妙本寺(1)比企一族ゆかりの寺
鎌倉の妙本寺の立つこの辺りは比企が谷といい、鎌倉時代には比企能員や比企尼をはじめとする比企一族が住んでいました。
懐妊した北条政子は、比企の館に入り、万寿(後の源頼家)を出産。
比企一族と頼朝の絆は、さらに深まっていくのでした。
総門
しかし、建仁3年(1203年)9月2日、2代将軍源頼家の外戚として権勢を握った能員とその一族が、北条時政の謀略によって滅ぼされてしまいました。
唯一、京都にいて難を逃れた比企能員(よしかず)の子・能本(よしもと)が、鎌倉で布教する日蓮上人に帰依し、日蓮と比企一族の菩提を弔うために、1260年、妙本寺を建立しました。
この寺一帯の谷を比企ヶ谷(ひきがやつ)といい、源頼朝の重臣・比企能員(ひきよしかず)らの屋敷がありました。
比企一族は二代将軍・源頼家(みなもとよりいえ)の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢に、この地で滅ぼされています。(比企の乱)
その後、「比企の乱」から逃れていた比企能員(ひきよしかず)の末子、能本(よしもと)が日蓮聖人に帰依し、一族の屋敷跡であるこの地に法華堂を建てました。
これが妙本寺の始まりといわれています。
緑豊かな静かな境内には、四月から八月にかけて、桜・カイドウ、シャガ、ノウゼンカズラなどか鮮やかに彩ります。
祖師堂(そしどう)
日蓮聖人(祖師)を祀るお堂。お堂内中央正面の厨子に日蓮聖人を、向かって右脇に日朗聖人、左脇に日輪聖人をお祀りしています。この祖師堂のあたりが、比企谷(ひきがやつ)の地名の由来、比企の尼が住まわれたところです。
「比企の尼」は、源頼朝の乳母であり、頼朝は開府後、武蔵(現在の埼玉県)の比企郡から尼をここへ招き住まわせました。また、北条政子が懐妊すると、尼の許に送り、ここで2代将軍頼家が生まれたと伝えられています。
霊宝殿には日蓮ゆかりの寺宝が、霊宝塔には日蓮の御真骨が納められ、祖師堂には日蓮が安置されています。
日蓮上人の像
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